64回目の終戦記念日を迎えた。正午には日本武道館で天皇・皇后をお迎えして全国戦没者追悼式が行われた。毎年総理大臣の挨拶は、「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」ことに「深い反省と犠牲者への哀悼の意を表明」して、国際社会へ向け「不戦の決意を新たにして」声を上げていくというものである。
しかし、過去64年間不戦の決意をどういう形で表したのか、世界へ向け日本として積極的な声明とか、行動を起こしただろうか疑問に思う。いつも掛け声倒れに終っているような気がする。戦地へ赴いて辛い体験をした元兵士とその家族の切実な声は次第に小さくなり、反戦の空気も風化しつつあるように思える。
その理由のひとつは、遺族の高齢化であり、今日の追悼式でも世代交代が一層進んで、親はすでになく、戦没者の妻も僅かに1.3%だった。この中で今年は政権交代が予想されるため、民主党鳩山代表が靖国神社の替わりに、新たな国立追悼施設の建設に前向きな態度を表明した。一方、今日の靖国神社参拝者は、小泉元首相、安倍元首相以下、現役閣僚では野田聖子・消費者行政担当相ただ一人である。この目立ちたがり屋の野田大臣は、私人として参拝したと言っていながら、肩書きに国務大臣として記帳している。この大臣は典型的な世襲議員であるが、8月15日は野田家として毎年参拝することになっているような発言をしていたが、これでは信念も何もあったものではない。大臣なのだから、参拝する以上自分の考えを堂々披瀝するべきではないか。こういう点で甘やかされた世襲議員の浅はかさと幼稚さを感じる。
靖国神社では首相並びに全閣僚の靖国参拝を求め、新しい国立追悼施設建設に反対する集会があった。追悼施設建設の賛成、反対を問わず、どちらも戦争そのものには反対を唱えているが、その考え方はまったく正反対である。戦争について国として真剣に検証も反省もせずに、世論の成り行きに任せてきたきらいがある。それが、戦争を知る人々が年々少なくなってきた近年になって、漸く今の内に戦争の悲惨さを後世に伝えなければと慌て出した。国が反省し、検証することを怠ってきたのである。そのツケのひとつが、戦争をまったく知らない野田大臣の独りよがりの靖国参拝となるのだ。総選挙が終って新しい政権が誕生したら、真剣に国立追悼施設建設や、国際社会への反戦アッピールを含めて、一国家としての確たる方針を検討し打ち出すべきである。