韓国の金大中・元大統領が今日ソウル市内の病院で肺炎により亡くなった。享年85歳だった。金氏の名はかなり以前から軍事政権下の韓国国内の民主化運動とともに、日本国内にも薄々洩れ伝わっていたが、その名を一気に有名にしたのは、1973年8月、金氏が九段のグランド・パレスホテル滞在中に、韓国KCIAに通ずる一味によって強引に拉致され韓国国内へ移送された、国境を越えた拉致事件発覚である。この事件は当時あまりにもショッキングな出来事として、国内はもとより、海外でも話題になった。私はその当時ちょうどインドからエチオピア、スーダン、エジプトを巡って帰ったら日本で蜂の巣をつつくような大騒ぎになっていて、しばらく何が何だか事情がよく分からなかった。むしろ、高校野球で作新学院の江川卓投手の豪腕ぶりが話題になっていたので、その結果が気になったのを覚えている。
韓国政府は日本国内において日本の法規を無視して、韓国国内の捜査権を行使して韓国政界の大物を力づくで逮捕して秘密裏にこっそり自国へ連れ戻すという国際法上断じて許されない暴挙を犯した。しかし、韓国政府はこの拉致事件を知らぬ存ぜぬの頬かむりで押し通し、政府はまったく関知しないとのスタンスを取った。結局それは嘘だった。国家が隣国に無断で隣国の自治、法律を蹂躙したのである。その点はとても許されざるべき越権行為である。
日韓両国間では、過去の事件としてお互いにほじくり返さないという灰色で、曖昧な決着をしてしまった。韓国政府の対応は非礼、かつ傲慢であるが、日本政府の態度も腰が弱く、何ゆえにそこまで卑屈なのかまったく理解に苦しむ。その意味ではこの事件は、いまだ未解決のまま、その主役が亡くなってしまった。真相解明は一層難しくなるだろう。
金氏は韓国民主化のために、かけがえのない活動をされた。それが、初の南北会談を実現した北朝鮮との緊張緩和を演出し、それによってノーベル平和賞を授与されるという栄誉を得た。しかし、金氏の太陽政策は北朝鮮の裏切り的外交により、金氏の政策に対する韓国国民の反発も強かった。今もなお評価は分かれている。金氏の本音はどうなのか。金氏は拉致について、日本の対応についてあまり多くを語っていない。後味の悪さが未だに尾を引いている。
ソウル市内の自宅軟禁中の金氏を突撃取材して、韓国警察から目をつけられ追われるように帰国した小中陽太郎さんに、その時どんな話をされたのか一度伺ってみたいと思っている。
さて、今日総選挙が公示された。30日の投票まで毎日マス・メディアの格好のテーマとなり、さぞや小煩いことだろう。麻生首相と鳩山民主党代表は早くも舌戦を繰り広げている。小選挙区、比例代表区を合せて480議席に対して、1369人が立候補した。