835.2009年8月26日(水) 黒い稲妻、トニー・ザイラー逝く。

 昨日オーストリアのアルペン・スキー花形選手だった、トニー・ザイラー氏が亡くなった。1956年のコルチーナ・ダンペッツォ(イタリア)冬季オリンピックで史上初めてアルペン3冠王となった。その後映画界で活躍して日本映画でも主演俳優として出演し、スキーファンのみならず、多くの日本人に愛されたスポーツマンのひとりだった。われわれの学生時代には憧れの選手だった。名画「白銀は招くよ」「黒い稲妻」のカッコいい雄姿が懐かしい。

 2003年にかつてのオリンピック会場だったコルチーナを訪れた時、最初に瞼に浮かんだ人物は、日本人ではザイラー選手に次いで銀メダルを獲得して日本人として、アルペン種目初のメダリストとなった猪谷千春選手と金メダリストのザイラー選手だった。コルチーナのロープウェイ駅にはイタリア、オーストリア、その他の国旗と並んで日の丸が掲げられ、青空の中にへんぽんと翻っている光景が何とも言えず心強かったことを思い出した。聞けば、コルチーナではメダリスト・猪谷選手は最も有名な日本人とのことだった。

 思い返してみると、現在のスキー界では、かつての花形種目だったアルペン、ジャンプ、複合、ノルディック長距離に対して、モーグルとか、エアリアル、フリースタイルなどが人気を高めてきた。しかし、われわれには学生時代に楽しんだアルペン・スキーのスピードと爽快感が忘れられない。

 それにしてもまだ73歳で、猪谷氏は自分より5歳も若いのにと言って嘆いていた。

 奇しくも今年7月に開催されたユネスコ世界遺産委員会で、コルチーナを含むドロミテ山塊地区が世界遺産として登録されることが決まった。実際に現地を訪れて味わった山の中の空気は本当に美味しく気持ちのよいものだった。山の景色、湖周辺の美しい環境、山に囲まれた街の雰囲気、どれをとっても一級品である。今まで日本人が訪れることが少なかったのは、交通アクセスがあまり便利でなかったことによる。30年ほど前にイタリア北東部のボルツァーノを文部省教員視察団とともに訪れた時、当地の教育長からぜひコルチーナを訪れて、イタリアの山の素晴らしさも堪能して欲しいと強く勧められたが、時間的に訪れることは出来なかった。6年前に夢にまで見た景勝地へ初めて足を踏み入れ、素晴らしい観光地へ来ることが出来て芯から幸福感に浸ったものだった。

 ドロミテ周辺が世界遺産に登録されたことは当然とも言えるが、今あの場所で名を上げたザイラー選手の訃報を聞くにつけ、コルチーナと併せ考え感慨無量の思いである。

2009年8月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com