845.2009年9月5日(土) 日露戦争の英雄・杉野兵曹長は生きていた?

 新しい民主党政権の内閣の姿が徐々に浮かび上がってきた。新しい組織である「国家戦略局」を統括する担当大臣を副総理格で菅直人副代表、外務大臣は私も適任と考えている岡田克也・幹事長が任命されるようだ。力のある実務者が揃った感じで、ほかに経済産業大臣と農林水産大臣、現在大忙しの厚生労働大臣、日米安保が論点になりそうな防衛大臣を誰が務めるのか、興味のあるところである。

 今日は幕張小学校のクラス会が千葉市内の中華料理店「珊珊」で行われた。先日同級生椎名研二くんの実弟で冒険作家・椎名誠氏から、研二くんが昨年亡くなったと連絡してもらったので、参加者に伝えた。椎名くんもしばらくクラス会に出席しなかったので、誠氏に問い合わせたところ、訃報を聞く破目になってしまった。ところが、クラス会で聞いてみるとみんな彼が亡くなったことはすでに知っていた。研二くんの奥さんから連絡があったようだ。今日のクラス会は他のクラスの同級生も参加したので、14名も来られたが、初めて会った人が4人もいた。同じ年代なので話が食い違うようなことはないが、話題になるのは孫と介護だ。やはり最も気になる事柄であることは間違いない。

 先日八王子の近藤幸一さんからいただいたコピーが、日露戦争で軍神・廣瀬武夫中佐とともに戦死したはずの杉野孫七兵曹長が実は生きていたという地方水交会雑誌の記事だった。本当のところは何せ105年前の古い記録であるので、確かめようがないが、もしそれが事実とするなら日露戦史も塗り替えられるかも知れない。しかし、話題としては興味があったので、桜田啓著「広瀬武夫」(PHP研究所発行)を読んでみた。副題として「旅順に散った海のサムライ」とあった。少し調べてエッセイにでも書いてみようと思う。

 杉野が乗船艦の撃沈で行方不明になったことにより、廣瀬中佐ら乗員の退却が遅れ、結果的に廣瀬中佐を戦死に至らしめた。その杉野は乗船艦とともに沈没して海の藻屑となったと言い伝えられている。それが生きていたとなると、英雄伝が覆される。フィリッピンの陸軍特攻隊にも生き残った軍神の逸話がいくつもある。その生き残ったというより、死に損なった兵隊さんは、戦時中祖国へ帰ることが許されなかったし、親までが戦死したはずの愛しい息子が帰国することを拒んだという話もある。

 杉野兵曹長も日本に妻と3人の子どもがありながら、英雄となり、「杉野はいずこ」と歌にまで歌われたがために、親から帰るなと説得されて帰りがたく、満州の地で結婚して子を成して満州で果てたそうである。しかも、あの甘粕大尉が平成8年時点で存命だった日本兵に杉野を紹介したという。どこまで信じてよいのか分からないが、実際にこういう話が起きる可能性はある。

2009年9月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com