865.2009年9月25日(金) 裁判員制度は時期尚早か?

 50年前の明日、伊勢湾台風が紀伊半島から中京地区を襲い、1日にして5,000名を超える犠牲者を生んだ。あの時の猛威は胸に強く焼き付いている。小中陽太郎さんもNHK名古屋に勤めていた時、報道現場に出て犠牲者の家族が遺体を焼くシーンを見て強い衝撃を受けたと仰っていた。

 今日駒沢大学の講座で、清田義昭講師が見せてくれたドキュメンタリー・ビデオ「出所した男」には深く考えさせられた。清田講師は冒頭今年から実施されている裁判員制度について疑問を呈した。時期尚早だというのである。このままだと冤罪が多くなることを心配されていた。そう述べた後に、このビデオを鑑賞することになった。7年前に毎日放送が制作した作品で、地味な作品だがいくつかの賞を受賞したものだそうである。浜松市に住む河合利彦という42歳の元殺人犯の再審手続きを追ったものだ。内縁の妻の連れ子を殺害した罪で起訴され、女の「河合が殺した」の一言で、その翌日女を信用していた河合は自白してしまう。問題は、河合の自白直前に女が罪を認めたにも関わらず、女の自白のテープは秘匿され、作為的な監察医の報告書により立件されてしまう。その後に件の監察医の診断より、見識のある別の監察医が、殺害時間から推して河合殺害の不自然さを報告した。それを受けて河合は最高裁へ上告した。結果はその監察医報告は信用出来ないという理由から、再審却下となった。女は罪を問われず、河合は10年の刑期を終えて出所したが前科者のままで終結となった。

 心が重くなるドキュメントに考えさせられた。講師が心配する、裁判員制度により冤罪が増えるとの懸念は、次の理由からである。

 裁判に関して素人の市民は、罪への意識と被害者への同情が強くなり、それが犯人を成敗する気持ちに変わり、死刑制度を採用しなくなる世界的風潮の中で、ともすると罪を重くする傾向に傾き、仮に死刑に値しなかった犯人に死刑を課した時、冤罪となる恐れがあると危惧しておられた。確かに講師が言われたことも理解出来る。私も一般論として、まだ裁判員制度導入には、まだ環境整備が充分でなく検討課題が多すぎると思う。すでに走り出した制度ではあるが、これまで表に出なかった裁判官と検察との取引等も洗いざらい公開して、ひとつひとつつぶして行くような愚鈍な進め方も考えてみてはどうだろうか。

2009年9月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com