942.2009年12月11日(金) 三井三池闘争を想う。

 今日の駒沢大清田義昭講師の講座は、映画「三池-終らない‘炭鉱’の物語」DVDで鑑賞しながら話し合うことだった。2007年日本ジャーナリスト大賞を獲った作品である。女性監督の熊谷博子が三井三池で7年間に亘って克明に取材したドキュメントで、中々の力作だと感じた。

 三井三池闘争と言えば、ちょうど60年安保闘争と同じ年に日本を東と西に分けて闘われた大きな社会事件だった。われわれ学生は、安保闘争に夢中で繰り返しデモを行っていたが、三井三池にも関心がなかったわけではなかった。「総資本と総労働の対決」と言われて三池を支援する労働団体が全国から駆けつけたので、デモは大きく広がり連日メディアで報道された。指名解雇を打ち出した会社側とこれに反対する三池労組が対立し、乱闘騒ぎになり、その渦中で死者も出た。労組の精神的支柱だった向坂逸郎・九大教授が、思想面で組合を支えた。その当時法政大学で向坂教授の講義を聴きに行き、冴えているなあと感銘を受けた覚えがある。

 問題は2つあった。ひとつは、会社側が第二組合と呼ばれる新労組の結成を画策して組合の分裂を図ったことである。2つ目は、1963年に炭鉱内で爆発事故が発生して、458人もの死者を出し、助かった人の中にも炭塵災害による2次災害が発生したことである。

 この2つが後々まで尾を引いた。三井鉱山会社は手に負えなくなり、国が介入するようになった。同じ炭住街に住む隣人を仲たがいさせるような結果と、後遺症に悩まされる人たちが家族を含めて相当数発生して、被害家族が長きに亘って苦しみ、結果的にCO特別立法の成立にまで突き進んだことである。

 それにしても闘争を支えた原動力は、驚くべきことに主婦連合の忍耐力とネットワークにあった。特に、炭住街に三池労組の主婦連が結成され、炭鉱婦人協議会なるものが成立した。1960年2月には、三池主婦会総決起大会を開催し、国会へ特別立法を働きかけるまでになった。最終的に、不十分ながらも国から炭鉱事故被害者への補償金を勝ち取った。

 この一連の動きを見てみると、明らかに時代の差を感じる。同業者が一体感を持って目的へ向け意思統一を図りながら邁進していく。この運動の進め方は最近では見られないものだ。また、総資本と総労働の対決のように、労働側は必死になって一丸となって情熱を抱いて闘っていた。

 いずれも現代では残念ながらもう見られないものだ。これが今日「醒めている」「自分に関係ないものには関与しない」「ひとつのことに情熱をかけることはない」「夢を描かない」等々と云われる現代の若者とは大きく異なる。

 久しぶりに1960年代の国民的な社会運動を懐かしく感じることが出来た。

2009年12月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com