972.2010年1月10日(日) 戦没者遺骨収集について

 今朝の産経新聞に戦没者遺骨収集に関するトピックスが載っていた。私自身20年近くに亘って旧厚生省の同事業のお手伝いをしていただけに、関心の高い話題であり、じっくり目を通した。先日テレビ・ニュースがフィリッピンにおける同事業について、現地では必ずしも歓迎されない事態も起きていると報道していたが、私が関わっていた当時の状況に照らしてみても、事業そのものに対する取り組みが日本サイドはもとより、相手国でも変わりつつあるように思う。

 その中で一番理解できないのは、かつての戦地における日本人戦没者の遺骨収集を目的とする日本人の民間組織が存在するということである。国家事業として始まった遺骨収集であり、国家が予算の手当てをして実施するのが筋であり、また、相手国との間には諸々複雑な問題もある。そんな事情で以前はすべて日本政府ベースで行われていた。民間協力団体も旧厚生省の指揮下のもとで収集作業を行っていた。

 それが、今ではフィリッピンで「空援隊」という日本のNPO団体がご遺骨の収集のために活動しているという。以前日本政府は民間人による遺骨収集を禁じていた。それは相手国との間に民間人では対応出来ないことが頻発したからである。それが、いつの間にか民間人が「異国に残されたままになっている多くの戦士が祖国へ帰れるように」という崇高な気持ちだけで、民間団体として認められ、実際に遺骨収集事業で活動している。随分変わったものである。

 しかし、その純粋な気持ちだけで、思いや目的はスムーズに叶っているのだろうかとつい気になった。昨年1年間だけで、「空援隊」がフィリッピン各地で収集した遺骨は実に8,675体に上るという。率直に言って、そんなに多くのご遺骨をたった1年間で収集出来るのだろうかという疑問が実感としてある。昭和27年から始められた遺骨収集事業で毎年ほそぼそと遺骨収集を実施して、海外戦没者概数240万柱の内、まだ半分の125万柱しか奉還していない。フィリッピンでは、約50万人の方々が亡くなられて、山地が深く思うように収骨出来ない点から推察して、産経の記事による、1年間で1万人近い戦没者のご遺骨を収集したというのは、いささか戸惑い疑問に思う数字である。こういう言い方は顰蹙を買うかも知れないが、1年間に8,675人というその数字がどうも腑に落ちないのである。収骨したご遺骨のカウントのし方が従来の政府のそれとは微妙に違うのではないかと考えられないこともない。民間組織が参加したことにより、作業は効率的に進んでいるということになる。ご遺族が納得出来るならは、それはそれで良いのかも知れないが、どうも素直に受け入れられない。

 ご遺骨収集数の問題はともかく、より問題なのは現地で住民との間にトラブルが発生していないかということである。それが、3日夜NHKニュースで報道された日本政府とフィリッピン政府との間で遺骨収集に関するガイドラインを取り交わすという問題に突き当たる。産経紙によれば、昨年末には持ち帰る予定だった遺骨4千体以上が、直前になって書類の不備という理由で足止めを食った。中々難しい問題を孕んでいるのだ。

 私が長年関わった中部太平洋地区では住民感情は頗る良かったが、収集作業は年々難しくなっていった。それは、ご遺骨が人目につく場所にはほとんど見られなくなって、私有地や岩山などの危険な場所でしか発見出来なくなったからである。ガダルカナルなどでは、住民が私有地に入るに際して、条件を出してきたこともある。

 日本人の民間団体の善意と崇高な気持ちだけでは、必ず壁に突き当たる。その際果たしてNPOのような民間組織の力だけで英霊を母国へ迎える尊い事業が貫徹できるだろうか。

 日本国内には、日本人が決して言ってはならない「戦後60年以上も経って、いまさら遺骨収集もないだろう」のような無神経で否定的な声も一部には聞かれる。すべての戦没者のご遺骨を持ち帰ることは確かに難しい。しかし、可能性があるなら、やはり国を挙げて祖国へご遺骨を奉還するというのが、戦没者に対する尊崇であり、また、生き残った日本人にとっての責務であり、日本人としての真心ではないだろうか。ことさら関わっていた事業だけに行く末が今も気にかかる。

2010年1月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com