973.2010年1月11日(月) 新成人は精神的に自立せよ!

 今日は成人の日であるが、残念なことに最近各地でアホな若者がわけもなく暴れ回る光景が見られる。沖縄や広島辺りでは、マイナス・イメージの風物詩の趣さえある。20歳にもなって他人に迷惑をかけることでしか、自分の存在を示せない欠陥成人が新たに生まれるとは嘆かわしいことだ。こういう若者は大体無職である。仕事にも就かず、世間の顰蹙を買うことでしか世間から省みられない。情けない奴らだ。

 さて、予め連絡をもらっていたが、今朝の産経新聞に「知の現場」の出版記念パーティ開催が告知されていた。これを見てパーティに参加する読者もいるのではないかと思う。幸い大分話題になりそうな気がする。私にとってもこういう書を仲間とともに世に出すことが出来たということは誇らしい気分である。

 その産経新聞に社会学者の加藤秀俊先生が、最近の若者について感じたことを「正論」というコラムに寄稿しておられる。加藤先生は京都大学教授でもあったので、久しぶりに京大を訪れて感じたことを率直に書いておられる。キャンパスが小奇麗になってタテカンが無くなったことに些か複雑な心境でおられる。先生がおられた時代は、まさに学生運動が活発だったころである。実際60年安保闘争を闘ったわれわれの学生時代は、キャンパス内にタテカンはもちろん、ビラ、スピーカーの嬌声が煩く、大学とはアカデミックな場所ではなく、戦場ではないかと思ったほどである。

 タイトルが加藤先生らしくて良い。「精神が朽ちている若者では困る」というものである。論旨にはまったく同感である。「学生に限らず、いつの時代でも若い世代というのは既成の価値や制度にもっとも敏感に反応し、批判し、ときには攻撃的になるものだ。それは若者にとって本能にちかいものであり、またそうした元気を社会はひそかに期待してきた」と言っておられる。

 一昨年加藤先生のお話を伺った後で、まもなく上梓した拙著「停年オヤジの海外武者修行」の「あとがき」に先生が仰った「知的道楽」という言葉を使用しても良いでしょうかとお伺いを立てたら、「ふとつぶやいたことばに『知的所有権』などあるはずもなく、どうぞご自由にお使い下さい」とユーモア溢れるお手紙をいただいたのには恐縮した。

 それにしても「近頃の若者は」とでも言おうものなら、古いなぁ、或いは時代錯誤と笑われてしまいそうだが、それでも私の知る若者の中にもおかしな青年が何人かいる。一人前のことを言っておきながら、礼儀を知らないというか、手紙を書いたり、拙著を送っても受け取ったとの連絡すらくれないような非常識な豪傑?もいる。

 先般「知の現場」で、評伝作家・北康利氏にインタビューした時、北氏は若者にもっとチャンスを与え、育てないといけない。彼らは良いものを持っていると言っておられた。それはそうだ。しかし、その話の後に、現在の高年者は若者に借金を残したまま世の中から消える前に、自分たちがこれまでに得たものを若者に伝承して欲しいと言われた。短い時間の中であり本意は分かりにくいが、若者は希望に溢れ、高年者は消え去るものと考えておられるような印象を受けた。

 初対面の時から、この北氏はエリート意識が強すぎ、自意識過剰で変わった人だという印象があったが、やはり少し若者に甘すぎ、高年者に失礼ではないかと感じた。こういう若者を迎合するような空気が彼らの自立を邪魔している一面もあるのではないかと思う。

2010年1月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com