昨日からマス・メディアは総じてキリンとサントリーの経営統合断念の話題を取り上げている。メディア報道から推測するしかないが、両社ともグローバル化戦略に対出来るように規模の拡大を図ったということは述べている。識者のコメントを読むと、勝ち組同志とは言え、迫り来る外資の攻勢に備えてお互いに体質の強化を狙っていた。食品業界の№1と№2が統合されるわけだから、当面の戦いには対処出来ると踏んだ。両社ともそれを認め、例え上場企業と非上場企業だとしても問題点はクリア出来ると考えた。
しかし、最初のボタンの掛け違いは、統合比率の差だったようだ。サントリーは当初ほぼ同等の提案をした。昨年11月キリンがキリン「1」に対して、サントリー「0.5」を提示した。サントリーの思惑としてはせめて「0.8~0.9」と考えていたのではなかっただろうか。ここでキリンに対する不信感が芽生えた。キリンが対等にやるといったことが、この統合比率によりサントリーの計算は狂った。先週末の段階で、キリンは1対0.7の比率まで歩み寄った。そこへサントリー創業家の経営へのかかわり方が、キリンが期待する「サイレント・マジョリティー」で済みそうにならなくなってきた。キリンは自らの主張する「経営の独立性と透明性」が、創業家の存在により遮られると判断した。こんなことは最初から懸念されていたことである。結局2流タレント同士が婚約は交わしたが、間際になって婚約解消をしたようなものである。
両社とも相手を正面切って非難することは避けているが、言いたいことは想像がつく。しかし、今日では体力がなくては生き抜いていくことは難しい。相互に今後の戦略として新たにパートナーを見つけ、提携関係を進めていくより生き伸びていく方法がないのではないかと思う。
つくづく企業経営も難しい時代になったものだと思う。
昨年から「酒のペンクラブ」の例会でスピーチをするよう依頼を受けていたが、今日がその日である。場所は麹町にある佐賀の「まつら」である。参加者は20名ほどだった。私が話すテーマは「旅のマイ・ギネス」で例によって図解した絵を素材に、私自身の旅行体験話をして皆さんをあっと思わせる趣向だ。普通ではあまり体験しないようなベトナム戦争中の話とか、ヨルダンで軍隊に身柄拘束されたような珍しい体験談や、ダイアナ王妃が事故死した日より1日前にそのニュースを知ったというウソのような話をしたので、皆さんには興味を持っていただいたようだった。先日メールで連絡をいただいた小中陽太郎さんが、対談が予定をオーバーしたということから遅れて来られて、随分様子を気にしていただいた。
散会後、小中さんとペンクラブの西原健次さん、東京新聞デスクの坂本さんと一緒に近くのダイアモンドホテルのバーで一杯やった。西原さんのもたらした情報が目新しかった。徳川幕府を転覆させたのは薩長土に、芸州が加担したからだと維新後60年経ってから明かした新谷道太郎のメモに書いてあるという。流石に芸州・広島出身らしい西原さんだ。芸州を抱き込んだ裏には、坂本竜馬の計略があったという。今まで世に知られていないが、真実味のある話に些か衝撃を受けた。これまでの坂本竜馬伝のストーリーをひっくり返しかねないドキュメントだけに、聞いていた坂本さんもびっくりだ。記事を書くような口ぶりだったので、ひょっとするとこの話は世に出るかも知れない。
作家で独特の存在感と栃木弁の語り口で人気のあった立松和平氏が多臓器不全で亡くなった。小中さんは弟分のような付き合いだったと言われるし、西原さんは最近ペンクラブで会ったばかりだったと惜しんでおられた。立松氏は人間的にも魅力のある方だったが、惜しむらくは盗作の誘惑に駆られたことが実績に傷をつけた。まだ62歳の若さだった。ご冥福をお祈りしたいと思う。