昨日はお花見を楽しんだが、曇天ながらもこの時期に満開というのは例年に比べると大分遅れている。今日も朝から雨と肌寒い気温に見舞われ例年とは変わった気象変化にいささか戸惑っている。やはり地球全体の温暖化現象が、逆の影響をもたらしているようだ。
さて、いま地球の反対側にあるアルゼンチン沖合の英領フォークランド諸島に一部で熱い視線が注がれている。今年2月にフォークランド島周辺海域で海底油田開発を目指してイギリスの石油会社が始めた試掘に対してアルゼンチンが反発し、緊張が高まったのである。実は、その背景には28年前のフォークランド戦争がある。
いまでも忘れられないのが、その28年前の1982年5月文部省教員海外派遣団の添乗員としてイギリス・マンチェスターに滞在していた時、偶々イギリスとアルゼンチンの間で勃発した戦争である。同地に1週間ばかり滞在していた間に、毎日朝から晩までテレビで放映される戦争関連ニュースに、いささか辟易しながら関心も持った。戦争という概念に新しい1頁を加えてくれたような戦争だった。
イギリス海軍艦隊がイギリスから遠路フォークランド島へ向けて移動していったが、テレビでその様子を毎日飽きることなく、今日はこの辺りを航行中という具合に報道していた。その報道スタンスに興味と若干の違和感を持ったのは、3つの点においてである。
ひとつは毎日毎晩のように、入れ替わり立ち代り戦死した兵士の母親が、遺影を抱いて現れては涙ながらに、息子は優しくて誰からも愛されていた。自分の愛する息子を死へ追いやったこの戦争が憎いと語っていた母親たちの同情を呼ぶ姿であった。2つ目は、王室が参戦することに賛否両論があった中で、イギリスのチャールス王子だったか、アンドリュー王子が軍人の義務としてこの戦いに従軍したことである。3つ目はこのスピードを要請される時代に、実にゆっくりとしか進まない応援部隊の艦隊の大行進が滑稽に見えたことで、司馬遼太郎が「坂の上の雲」に描くところの、80年前のバルチック艦隊の東方への進軍イメージとダブって見えたことである。
こうしてやっと辿り着いたフォークランド島では、イギリス軍は物量と強力な戦闘力でアルゼンチン軍をたちまち圧倒した。われわれが6月に帰国したころには、アルゼンチン軍は降伏して、この戦いに政権の浮沈を賭けていたアルゼンチン軍事政権はあえなく崩壊した。日本から遥か離れた土地で交わされた戦火だったが、昨日のことのように今でも強く印象に残っている。
現在も両国は互いの領有権を主張して譲らない。相変わらず領有権を巡る係争はくすぶり続けている。イギリスにしてみると、イギリスが開拓した土地に住む島民はイギリス帰属を望んでいるので、住民投票をすれば良いと公言しているが、一方のアルゼンチンにしてみると大陸南端から500㎞の島嶼は地勢的にも感情的にも自国領土との意識が強い。
いずれにしても、その土地に「財宝」が眠っているとなると、つい欲の皮が突っ張って、それまで放っておいたくせに、急に所有権を主張し出すからややこしくなる。日本ではあまり関心の持たれていない戦争であるが、この行く末はどうなるだろうか注目してみてみたい。