60年安保闘争が、結局岸信介首相による国民への最大級の裏切り行為によって終結させられたのは、ちょうど半世紀前の今日6月15日である。あの時は実に悔しかった。国会周辺だけでも10万人を下らないデモ隊による異様な雰囲気に取り囲まれていた。結局安保条約は6月20日未明に自然成立となった。この日東大生・樺美智子さんが警察の暴力により亡くなった。それまで何回となくデモには参加していたが、どういう事情だったか、この日は国会デモへ駆けつけなかった。亡母が節夫もデモへ出かけていたら、惨事に巻き込まれたかも知れないとほっと胸をなでおろしていたことを思い出す。
あれから日米安保は、10年後の改定時になっても大きな変化は起こらず、今日まで延々と継続され、ついには先般の沖縄・普天間基地移設問題でも日米政府は、普天間から辺野古へ移設で合意した。先日外務省外交文書密約裁判で勝訴した西山太吉氏が、安保条約は内容的に大分変質していると言われたが、一旦改定された60年安保が、いつまでもクビキとなって日本国内の基地問題の重しとなっている。
日米合意を遵守して普天間移設問題に取り組んでいくと話した菅首相も、一昨日の「はやぶさ」帰還と昨晩のワールドカップ緒戦勝利がよほど嬉しかったのか、2連勝だなどと浮かれていたが、誠実に国民を納得させるような説明をして欲しいものである。
さて、先日倉敷出身の出井猛氏から麹町・弘済会館で開催のセミナーにお誘いを受けた。講師は、大原美術館理事長・大原謙一郎氏である。「倉敷から日本を考える」と題して1時間30分余に亘り持論を交えて、倉敷という土地柄、倉敷人について明快に話され、80人の聴衆に感銘を与えた。
印象に残った話は、倉敷は町村合併でも陣取りのように地域を広げていくのではないということだった。吸収都市を取り込むのではなく、クラスターと呼ばれる葡萄の葉のように、個性をその地で生かすと話されたことと、民間や町衆の行う行事は、祭りでも学校創設でも持続可能であり、これを仮に官が行ったら持続不可能だったと言われたことである。大原氏は倉敷の文化や住民気質について、かなりのプライドをお持ちだと感じた。元々企業経営者であるが、文化に造詣が深く、話に深みがあり全体的に分りやすい内容だった。