最近戦争に直接、間接に関わる事件の報道が減っていると感じていた。8月になると終戦記念日、広島と長崎の「原爆の日」、12月8日の開戦記念日、2.26事件等々の露出度が、全般的にマス・メディアで減っているように思う。
しかし、今年は大分違うようだ。2月の2.26事件の報道こそほとんど見られなかったが、普天間基地移設問題のゴタゴタからとりわけ沖縄に照準が当てられ、6月23日の沖縄戦を始めとして、今月に入ってから潘基文国連事務総長が出席した広島の「原爆の日」式典等々が、多くの報道番組で取り上げられるようになった。
昨日NHKで「『爆笑問題』の戦争入門」75分番組で戦争について知識や考えを持っていないと思われるタレントを相手に戦争体験者が諭していた。特に、俳優神山繁が38歳のタレント品川某が誰も戦争について教えてくれないと発言したことに対して、逆になぜ戦争について学ぼうとしないのか、資料はいくらでもあると反論したことが印象に残っている。どうも若者は戦争から距離を置いて戦争を正面から見つめようとしない。甘えるばかりで、他人に責任を転嫁して自ら進んで知ろうとしない悪癖がある。今のうちに戦争世代が若者にガツンと言って、戦争の真実について知らしめることが大事だとも感じた。
夜になってスペシャル番組「‘玉砕’隠された真実・奇跡の生還・その裏で新資料が明かす大本営の内幕」が放映されたが、アッツ島とガダルカナル島の玉砕についてこれまで公開されていなかった秘話を伝えていた。大本営によって「玉砕」とさせられたアッツ島守備隊の悲劇の真実を、玉砕後67年も経った今ごろになって曝け出されても、2,600名の「名誉」の戦死者は救われまい。たった27名のアッツ島帰還者のひとりは、「玉砕」ではなく「棄軍」だと言った。玉砕との栄誉に包まれた戦死者に対して合同慰霊祭が行われたが、同じ兵士たちが抱える白布の木箱の中には、もちろん遺骨はなく砂が収められていたという。ここまで遺族を欺いていたのかと思うと憤懣やる方ない。被弾負傷により米軍の捕虜となって戦後ガ島から帰還した元兵士のひとりは、戦陣訓にある「生きて虜囚の辱めを受けず」に逆らって生還したことに対して、いつも引け目を感じていて取材の際も「あなた(インタビューアー)に対して恥ずかしい。まわりに対して恥ずかしい。みんなに対して恥ずかしい」と何度も繰り返し語っていた姿が痛々しかった。
30年ほど前にガダルカナル島・ヘンダーソン空港に降り立った時、夕景の中を伊藤正徳著「帝国陸軍の最後」に描かれていたシーンを思い返しながら、一木支隊が行軍難渋した川を渡ったことを思い出した。武器と食料が極度に欠乏しジャングルと泥沼の中を彷徨いながら、次々に斃れた兵士たちの悲惨なメモリーに引き比べ、平和な時代になり夕暮れの海浜のあまりにも美しい景色が印象的だった。その裏でガ島にも陸軍上層部の主導権争いと棄軍の情け容赦のない作戦計画があったとは想像するだに恐ろしい。
それにしても戦争とは、御国のためにひたすら純粋な気持ちで戦っていた兵士たちを、これほどまでに欺くようなことをやっていたのかと、その残酷さに愕然とし絶望感に襲われる。
明後日65回目の終戦記念日がやってくる。