昨日東京地裁で小田急騒音公害訴訟に対して原告団の請求を一部認める判決が出た。かつて勤務していた会社の裁判沙汰だけに、どうしても心情的に会社の言い分に同調してしまう。
原告側の主張は電車の走行に伴う騒音によって、会話妨害、睡眠不足やこれに伴う精神的苦痛を受けたというものである。裁判所は、一般社会生活上我慢すべき限度(受忍限度)を超えたと判断しながらも、住民の日常生活への影響が重大になるとは認めなかった。
個人的な受け止め方の差異もあり、電車走行の頻度が増えたことによる生活上の利便性も考慮すると、原告側と小田急の妥協点の境目をどこに置くかという判断は難しいところである。
いつも問題になることだが、後になって騒音地区に引っ越してきた便乗組については、原告団から訴訟を起こしてから騒音地区に転入してきた住民は排除されたが、それ以前、つまり騒音が煩わしいことを承知のうえで、転入してきた住民は排除されていない。この人たちは賠償金を受け取ることになる。
小田急では過去にも同様な訴訟を起こされ、和解した例がある。住民が騒音対策として鉄道会社に対して望むのは、線路の高架化ではなく地下化である。しかし、これには巨額の費用がかかるうえに、社会的にも大きな利便を受け、必ずしも一企業だけで担うべき事業とは看做されず、全線を地下化するのに鉄道会社だけがその費用を負担すべきかどうかは公平にみて判断に迷うところである。実際2006年には、高架化認可を取り消し、地下化を望んだ住民が起こした行政訴訟では認可は適法だとする最高裁判決が出された。
どう折り合いをつけるかということは中々難しい。小田急の例が判例とされるなら、今後他の鉄道会社でもその点を念頭に鉄道工事を考えなければならないことは当然であるが、鉄道利用者に利便をもたらす工事が行われなくなる心配がある。
今日は偶々「防災の日」に当たり、NHKテレビでタイムリーな特別番組「首都水没の危機」を放送していたが、大雨洪水発生の際、最も危険な場所として地下街と地下鉄駅をクローズアップしていた。土地のない人口密集地域ならともかく何でもかんでも地下へという発想は、現状で地上に土地があるなら別の方法を考えるべきで、ただ煩いからと自分たちの主張ばかり繰り返しているのは、少し考え直した方が良いのではないかと率直に思った。
それにしても今日も暑い。今日も猛暑日となり、明治31年気象庁が統計を取り出して以来、113年間で一番暑い夏となってしまった。これから毎年暑い夏を迎えるのかと思うとぞっとする。