1223.2010年9月18日(土) 軽井沢に漂う文士の名残

 ホテルを引き払う前に新婚の二男夫婦が宿泊しているプリンスホテル・イーストへ預かり物を届けに車で出かけた。プリンスホテルの広い敷地内を移動用に走っているプレートナンバーのない電気自動車に乗れば、直線距離としてそう遠くはないが、一旦ホテルの敷地外へ出て一般道を通り移動すると軽井沢ショッピング・プラーザを外周することになるので、かなりの距離になる。

 驚いたのは、10時前後だったが、帰りにプラーザに沿った周囲の道路が数珠つなぎの車で詰まっているのを見た時だった。そんなに朝からショッピングに大勢の人々が訪れるのは、確かにプラーザに魅力があるからだろうが、それにしてもその人気ぶりには度肝を抜かれた。昨夕は夕食に出かけたが、これが流行りというものだろうか。

 今日は妻の友人から教えてもらった軽井沢文学コースを訪れてみることにした。いずれもまったく知らない施設だったが、ひとつは「軽井沢高原文庫」で、もうひとつは「軽井沢タリアセン」である。2つの施設が塩沢湖に沿った道路に向かい合って位置している。「軽井沢タリアセン」というのは聞きなれない言葉だが、何でもウェールズ語で「輝ける額」という意味で、吟遊詩人だったタリアセンに因んで命名されたそうだ。

 前者は、理事長・加賀乙彦氏と副理事長が妻の友人の親戚であるということで特に勧めてくれたところである。

 元々軽井沢は文士と縁が深い。昨日の結婚式場の向かいの「つるや旅館」を始め、万平ホテル、星野温泉旅館、三笠会館などは特別な所縁がある。「軽井沢高原文庫」の屋外庭園には、掘辰雄の山荘と野上弥生子の書斎が移築されている。中村真一郎の文学碑や立原道造詩碑も建てられている。館内には著名な文士の直筆原稿や、初版本、写真なども展示されていて中々興味深い。その前には「一房の葡萄」という洒落た喫茶店があるが、これが何と有島武郎の別荘「浄月庵」を移築したものである。ここのベランダでコーヒーを嗜んでいたところ、心地よい風に、これなら良い作品も生まれるのではないかと思ったほど心が落ち着く場所だった。有島武郎は良家に生まれたが、この時代の文士らは自由に、気ままな生活を送りながら秀作を世に送り出していたのだ。

 後者の「軽井沢タリアセン」には周囲にペイネ美術館、深沢紅子野の花美術館、旧朝吹山荘「睡鳩荘」を見学した。とにかく昔の成功者が金に糸目をつけずに残した財産が、今日別の形で世間に昔を偲ばせる形で伝えられている。

 軽井沢は、それほど脚光を浴びてはいないが、土地と関係深い有名人の足跡を伝えてくれるアカデミックな施設が、公的なバックアップではなく、一般人の支援によって支えられているところが素晴らしい。

 6時過ぎに帰宅して、夕食は妻とともにどうにか2人の息子が巣立ったことを喜び合い、軽くビールで乾杯して労わりあった。

2010年9月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com