昨日大相撲秋場所が千秋楽を迎えた。すでに前日優勝を決めていた横綱白鵬が全勝優勝成るか、そして62連勝成るかと注目されていたが、大関日馬富士を組み止めて一気呵成に寄り切った。これで4場所連続全勝優勝を成し遂げたことになる。先場所は野球賭博問題のゴタゴタで、実況中継放送がされず、優勝しても天皇賜杯も授与されず、優勝した白鵬が涙ながらに悔しがっていた姿が同情を呼んだ。今場所は賜杯を授与され、菅首相からも総理大臣杯を授与され、流石に感慨無量の表情だった。まさに相撲界のために孤軍奮闘している様子だった。
しかし、白鵬の圧倒的な強さもさることながら、些か他の力士が弱すぎるような気がする。特に、横綱を倒す最大のライバルであるべき、大関陣の不甲斐なさはあまりにも情けない。4人の大関は目標が優勝でないようなニュアンスすら感じる。琴欧州10勝、杷瑠都9勝、日馬富士と魁皇は8勝で優勝争いどころか、勝ち越すのがやっとというていたらくである。特に、魁皇のごときは13度目のかど番を何とか勝ち越して、辛うじて大関の地位を守っている不甲斐なさである。
これで白鵬にとって今後最大の目標である双葉山の連勝記録「69」が、益々現実味を帯びてきた。次の九州場所7日目に69連勝となり、8日目の勝ち越しが連勝新記録となる。
条件面だけ比べれば、双葉山時代は1年がたったの2場所だった。その意味では現在の6場所制下の相撲と単純に比較は出来ないと思う。双葉山は現在の3倍も長い期間にわたって好調を維持していたわけである。
もうひとつ寂しいのは、外国人力士の活躍に反して、日本人力士の元気のなさ、地盤沈下である。今や、横綱と大関を合わせた5力士の中で、日本人力士は勝ち越すのがやっとの大関魁皇ひとりだけになってしまった。この最大の原因は、ハングリー精神の違いだと思う。日本人で少年時代から将来相撲取りになろうと考えている子はあまり見当たらない。封建的な秩序と指導の下に長い期間苦しい稽古に耐えられる子どもはそう多くはない。裸でお尻を見せるのも現代っ子には受けなくなった。数多くあるスポーツの中で相撲部屋へ入門しようとする子の絶対数が減り、それに引き換え身体が大きく、力を発揮でき、我慢すれば将来の生活も安定したものが得られると考え、立ち遅れた旧社会主義国から若者が国技である相撲界へ続々入門するようになった。
恐らくこの傾向に当分の間大きな変化はないだろう。身体の小さい日本人が、身体を使って闘う勝負はいくら伝統的なものであっても、段々部が悪くなってきた。はたしてこのままの状態で良いのだろうか。
相撲以上に礼儀を重視していた柔道でも、礼を欠く選手が目立ってきた。勝負にあまりにも拘るようになったことと、柔道の歴史が浅い外国では柔道の精神と作法を教える指導者がいないからである。先般行われた世界柔道選手権大会の無差別級決勝で、日本の上川大樹選手に判定負けした、90キロ級優勝のフランスのリネール選手はその判定に納得せず、試合後も荒れ放題で礼をせず、側にあった道具を蹴飛ばして審判員に食ってかかり、それを誰も制止しなかった。
礼儀を知らず、作法も知らないお行儀の悪い選手や関係者が増えたものである。
柔道も相撲も外国人が入ったことにより、少しずつ状況が変わった。当事者は今後の発展を考えるなら1度原点に還って、問題点をよく検討してみることも必要ではないかと思う。