1252.2010年10月17日(日) 靖国神社とゼミ雑感

 うっかりして大学ゼミ例会の開始時間を間違えて、2時間も早く会場の九段会館へ着いてしまった。これは時間つぶしに困ったと思いながらも、折角だから近くの靖国神社へ久方ぶりの参拝をしようと考えた。

 九段下から九段上へ向かって歩いていると境内の辺りから威勢のいい声が聞こえたので、正面砂利道を進んでみるといなせなお兄さんたちが、お囃子に合わせて2つの大きなお飾りにまたがりご神木を引いている。「祝御柱祭」と書かれた旗や提灯があった。よく見ると「御柱三友会」とあり、米沢、北山、湖東の御柱祭の催しをやっていた。皮を剥いだ長く太い木材を引っ張っていて、そこには「神社御柱御用材」とある。ラッパを吹いていた若者にこの神木を奉納するのか聞いてみたら、これは儀式用で持ち帰ると笑っていた。境内ではお能を披露したり、古物市を開いていたり、靖国神社もいろいろ趣向を考えているようだ。一方で、参道では「国立共同墓地建設反対署名」と旗を掲げて、A級戦犯の分祀に反対する署名活動をやっていた。

 参道傍で「ルソン山中会」の青柳勝正さんと仰る世田谷区三宿にお住まいの85歳の方から、フィリピン・ルソン島の悲惨な状況や戦後の戦友会の歩みや活動について偶々お話を伺う機会があった。左手の指を2本失くしておられた。最近問題になったルソン島の遺骨収集スキャンダルについても嘆いておられた。最近戦友会の方とお話する機会がなかったが、久しぶりに戦地の苦労話をうかがって、かつて遺骨収集事業をお手伝いしていた頃を思い出し気分も爽やかだった。その後靖国神社遊就館を見学したが、興味が尽きず後ろ髪を引かれたが、ゼミ例会まで時間がなくなったので途中で退出してきた。いずれまた見学に来ようと思う。

 ゼミ例会では大体いつも同じ顔が揃うが、心配していた飯田鼎先生と奥様の健康そうなご様子を拝見してほっとした。先生は大正13(1924)年のお生まれなので、今年86歳になられる。ほかの仲間も気にしていたようだが、一様にお元気そうな姿にほっとしていた。卒業後47年が経ったが、先生の前に出るとやはり未熟な弟子であることを痛感させられる。元気なころの先生の前向きな姿を思い出すととても足元には及ばない。やはり毎日遅々としていても着々と前進するしかない。ひたむきな先生の姿に改めてまだまだ勉強が足りないと自戒した次第である。

2010年10月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com