1291.2010年11月25日(木) 「チボリ会」解団。寂しいなぁ。

 今日は先週に続いて茨城県教職員海外視察団のひとつ、「チボリ会」の解団式である。会場の国民宿舎「鵜の岬」は、聞くところによると全国に数々ある国民宿舎の中でも最も利用率が高く、中々予約を取れないという。それがどういうわけだか、この「チボリ会」では、今回を合せて5度目の開催で、私にとっても2度目の利用である。

 日立駅に降りたった時、佐藤弘之先生が車で出迎えてくれた。そのまま日立市名誉市民で作曲家の吉田正を紹介した「吉田正音楽記念館」を見学して、その後日立繁栄の基礎を築いた久原房之助財閥が興した日本鉱業、日立製作所の前身でもあった日立鉱山の鉱山跡地に建設された「日鉱記念館」を見学した。さほど期待はしていなかったが、意外に興味深いものだった。公害問題が世間の注目を浴びる前に、この鉱山の山中に立つ煙突が日立のシンボルだったようだ。驚いたのは、今どき2つの設備がそれぞれ入場無料ということだった。

 最終回ということもあって、私を含めた20名の団員構成だったが、4名の物故者を除くと16名中12名が参加された。その当時の文部省係長で海外視察団にも参加された佐野紀さんも出席された。

 開会に先立って今年2月に亡くなられた吉成貢先生の霊に黙祷を捧げた。吉成先生は昨年ご長男を亡くされ、今年はご自分が旅立たれた。偶々先生は慶応義塾の通信課程で学ばれたので、私にとっては先輩にも当たる。一昨年の慶応義塾創立150周年記念祭の折、天皇・皇后両陛下がご臨席された式典にも雨の中を出席されたとお話いただいた。私も出席の予定だったが、急遽韓国・束草(ソクチョ)市で開催の国際シンポジウムにパネリストとして招かれ、欠席することになり、お会いすることが叶わなかった。近年は「吹き矢」に熱をいれられ、スポーツである「吹き矢」について愉しそうにお話していたことが懐かしく思い出されてくる。心よりご冥福をお祈り致したい。

 次いで今月9日に叙勲された外山彬先生に海野千秀団長から記念品が贈られた。会は解散を惜しむかの如く大いに盛り上がり、地元料理の宴会から2次カラオケ大会、3次部屋内懇親会と深夜12時過ぎまで思い出話やら、エピソードやら名残が尽きない一夜になった。

 団長はもう80歳を超えておられるにも拘わらず、カラオケ大会では相変わらずのバリトンで演歌を熱唱され、他の団体客も聞き惚れ拍手喝采であった。最後の一曲として唄われた五木ひろしの演歌「凍て鶴」は、まさに「チボリ会」の名残り歌としていつまでも心に残るものであろう。

 それぞれの団員が個人的な思いを込めて近況報告されたが、やはりこれが最後となると感慨深いものがあるのだろう。別れ難い感情が込みあげてくる。おかげさまで、この「チボリ会」では素晴らしい団長とともに、優しく思いやりのある先生方に恵まれたことは幸せだった。1980年に海外研修へ出かけてから30年間毎年繰り返された「チボリ会」も、遂に終止符を打つ時がきた。いろんなメモリーが後から後へと脳裏を駆け巡る。やはりしんみりしてしまう。これも時の流れというべきであろうか。

 海野千秀先生をはじめ、団員の先生方から愉しい想い出を沢山いただいた。心より感謝している。

2010年11月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com