ゼミの先輩・利光國夫さんの靖子夫人が所属する「紺の会」のニューイヤー・ヴォーカルコンサートが海老名市文化会館小ホールで行われ、妻が2枚のチケットをいただいたので車で出かけた。専門的にはとてもコメント出来るような知識は持ち合わせていないが、コンサートは中々レベルの高いものだったように思う。テノールとソプラノばかり、良い歌声を聞かせてもらった。愉しいコンサートだった。
海老名と言えば、小田急と相鉄が共同で大掛かりな開発に協力した結果、今日のビッグな都市を造り上げたと言ってもいい。その海老名市文化会館へ出かけるのにカーナビをセットした。ところが、いつの間にか東名・海老名にインターチェンジが完成して、それが4年半前に購入したわが家の車のカーナビでは作動しない。手前の町田ICで降りるよう案内される。それを無視して新しく出来た海老名ICから一般道へ降りたところ、思うようにカーナビが機能しない。目的地である文化会館へ辿り着けず、途中で会館へ電話で照会する始末である。帰路は海老名ICへのアクセスが分らず、結局町田ICから東名道へ入るお粗末だった。
カーナビのソフトもあまり古くなると、場合によっては不便を感じることがある。今度の車検の折にはソフトだけ新式のものに替えてもらおうと思う。いろいろな意味で面白い経験をした一日だった。
さて、昨年12月26日の本ブログに新聞小説の終わり方のあっけなさについて書いたが、そのひとつ朝日夕刊の連載小説、楊逸作「獅子頭」が、今日258回を以って割り切れないまま連載を終えた。前回指摘したように、なぜストーリーがまったく解決していないのに連載を終了するのか、朝日の意図がよく分らない。恐らく大半の読者も煙に巻かれているのではないだろうか。ストーリーを広げるだけ広げておいて、まったく解決とか、終る兆候がないのに突然打ち切りである。日経夕刊の「無花果の森」同様、小説を読んだとの読後感も持てないうちに、チョンである。新聞社は、読者に対して一寸失礼だし、不親切ではないだろうかというのが率直な感想である。こんな終わり方をするなら最初から読む必要なんかないと思える仕打ちである。
こんな風に読者を舐めるやり方も、新聞の定期購読者が減る大きな要因のひとつなのではないか。