神戸・淡路大震災から今日で16年である。神戸を始めとして、日本各地で大地震に備えたシミュレーションを行っている。サンフランシスコやトルコで大きな地震に遭ったことがあるが、こればかりは2度と味わいたくない恐怖である。だが、地震は突然襲ってくるので、逃げようがない。せめて被害を少なくすることしか考えられない。
さて、地方政治の中で全国的な話題を集めていた鹿児島県阿久根市の出直し市長選挙が昨日行われ、竹原信一・前市長が新人で前市長のリコール運動を進めた市民団体の役員だった、37歳の西平良将氏に敗れた。
中央から離れた1地方の市長選が全国的にこれだけ注目されたのも、過去2年半で3度も行われた市長選のせいである。狂気の沙汰と呼んでもおかしくない。これだけ世間離れなことをやっていれば、辛らつに言って日本中の恥晒しになる。世間常識では計り知れない地方政治の不透明さが、噴出したような印象を受ける。
自衛隊出身者らしくある面で正義感の塊のような前市長の目指す方向性は、ある程度受け入れられていた。しかし、その手法があまりにも独断的で、議会や職員を無視した性急なやり方が批判されたのだ。過去に議会と対立して2度も不信任を決議され、それでも前回の市長選では再選されている。この時点ではまだ多くの支持者がいた。にも拘わらず、ここへ来てあまりにも議会無視が目立ち出し、昨日の3度目の市長選で遂に敗軍の将となった。
近年東国原英夫・宮崎県知事、橋下徹・大阪府知事、河村たかし・名古屋市長、そしてこの竹原信一・前阿久根市長のように個性的な首長が進出するようになった。地元の実情を日本中に広く訴える点では大いに効果的であり、決してその行動を否定するものではない。問題は彼ら首長の主張や行動が、個人的なパフォーマンスに終始していないかどうかと言う点にある。選挙前にはあれだけ支持を懇請しておいて中央政界へ進出しようとしている宮崎県知事や、色気満々の大阪府知事と名古屋市長らに対しても、最初に将来ビジョンや方向性、本心をすべて曝け出せと言いたい。
今回の阿久根市長選では、竹原氏の考え方に賛同する市民もかなりいた。竹原氏の読み違いは議会と市職員を完全に無視したことだろう。市民に直接訴えると言い、街頭で理念とビジョン、政策を訴えた。それは良い。だが、自分の考えを議会にも諮らず、一方的に決定しようとする専決行動では、大方の理解は得られまい。議会議員だって市民から選出されているわけで、その意味では前市長は市民の意見をネグっていたということになる。往生際もあまり良くない。反省の言葉はなく、敗戦の弁は「職員組合と報道に負けた」というものだった。
新市長もこれからが正念場である。前市長の方向性は間違っていないと述べている。ここは、今後どうやって話し合いの中で行政を進めるかということであり、若手市長の手腕が問われるところだろう。しばらく注目して見てみたい。