1355.2011年1月28日(金) 知らなかったパリの地下世界

 今日届けられた「NATIONAL GEOGRAPHIC」2月号のいくつかの特集記事のひとつ、「ようこそ、パリの地下世界へ」という見出しに思わず引きつけられた。写真やイラストを含めて22頁からならトピックだが、内容が極めてミステリアスでパリの地勢的な特徴の説明が興味を惹く。

 これまで何十回となくパリを訪れ全体像をある程度知り、歴史的にも、芸術的にも、景観的にも大好きな都市のひとつであるが、実はパリの地下が上下水道や地下鉄以外に、これほどまでに深い歴史を孕み摩訶不思議な巣窟になっているとは寡聞にして知らなかった。

 そもそもその発端は地下の採石場から石灰岩を掘り出して地上の石造りの建築物の資材用に使用したことから、地下に大きな空間が出来たことが原因らしい。どうやらそれらの石灰岩でノートルダム寺院も建造されたようだ。12世紀ごろのことだというから驚きである。それらの地下空間は地下20m以上もあり、それが分ったのは1774年に土地が陥没して多数の死者が出たことからである。その原因究明と防止のためにフランス革命の当事者であるルイ16世がお触れを出して地下が整備されたというから、実にドラマチックな史実である。採石場跡の壁には、銘板が取り付けられていて、そこには「壁の番号」「G=調査を行ったギョモーのイニシアル」「年号(1783)」が書かれている。何とフランス革命の6年前である。

 断面図を見ると上下水道や古いメトロは、地下10m以内に敷設されているが、もっと深部には過密となった地上の墓地から掘り出され、移された多くの人骨が積み上げられて保管されていたり、第2次世界大戦時の掩蔽壕まである。狭いパリ市内の土地を当時の人々は効率的に活用したようだ。十数年前に開通した高速メトロは、更に深く地下36mを走行している。

 かつてジャン・ヴァル・ジャンがジャベール警視に追われながらパリの下水道伝いに逃げた「レ・ミゼラブル」のストーリーから、パリを歩くたびに巨大な下水道に通じる道路両端の側溝と道路の清掃作業に興味を持って眺めていたものだった。1度は下水道ツアーで実際に地下道を歩いてみたいと思いながら、その思いは叶わず、今日新たな地下情報を得たが、いつかはパリの下水道に潜ることが出来るだろうか。

 それにしてもこの月刊誌は、日本人の発想ではなく、われわれのあまり気がつかない視点から話題を取り上げてくれる。日本人とは異なる視点とそのアカデミックな切り口に強い関心を抱き、日本語版発刊以来17年間定期購読しているが、アメリカの学校図書館を訪れるとどこにも必ずこの雑誌が備えられているのもむべなるかなと思う。

 さて、昨日のニュース2件に関して、エジプトのデモと霧島噴火がただならぬ様相を帯びてきた。エジプト国内では集会が禁止されているが、金曜日のモスク礼拝後に礼拝者がデモ行動に移り、警戒している軍と対立してそれは益々激化している。政府は断固デモを許さず、デモ隊を武力で押さえつける方針のようだ。エルバラダイ・前IAEA事務局長も在住先のオーストリアから帰国して、民主化と自由を求めてムバラク大統領の退陣を迫り、抗議行動は一層加速している。

 一方で霧島・新燃岳が午後爆発噴火して周辺住民は降灰の影響で生活にも不自由し始めたようである。離れて住むわれわれとしては、こればかりははらはらしながら見守るより仕方がない。

2011年1月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com