1356.2011年1月29日(土) エジプトのデモの行方が心配だ。

 エジプト国内の反政府デモが尋常ならざる事態に追い込まれつつある。当局の指示により夜間外出禁止令が出され、ほとんどの都市でインターネットや携帯電話が接続出来ない状態が続いている。一連のデモにより多数の死傷者も出て、いよいよ容易なあぬ危機的な状況になってきた。この状態が続くと隣国チュニジアと同じように大統領の失脚、国外亡命という筋書きも考えられないわけではない。

 ところが30年間に亘る長期独裁政権と汚職を非難され、民衆から辞任を求められている82歳のムバラク大統領は、国軍の支持を得ていることと、アメリカから軍事支援を得てこれまで政権基盤が比較的安定していたこともあり、デモ隊に対して「言論の自由を尊重する」と言いながらも、内閣総辞職など小手先だけの奇手を弄して今のところ自身職を辞する気持は毛頭ないようだ。

 しかし、流石のアメリカも今回の民衆の反政府デモの対応に苦慮して、オバマ大統領はエジプト政府に対して政治、社会、経済で改革が必要だとの認識を示し、エジプトへの軍事・経済援助の見直しを検討すると警告した。

 週末で株式市場が開かれていたニューヨークでは、原油価格が高騰しダウ平均が大幅に下がった。このままの状態が続くようだと、週明けには世界の株式市場にどんな影響が生じるか気になるところだ。

 今日軍の装甲車がカイロ市内に入ってきた様子を見て驚いた50歳代のカイロ市民は装甲車が入って来るのを初めて見たと言っていたが、私が1968年1月初めてナセル政権下のカイロに入った時、数多くの戦車が走っているのをこの目で見ている。それくらい現実は想像も出来なかった事態が起きているということだろう。あの頃は第3次中東戦争直後で市内には観光気分なんか流れていなかったが、今回は日本人観光客も大分市内に滞在しているようだ。観光は平和へのパスポートと云われるが、チュニジア政変の際も多くの日本人観光客が旧カルタゴの同国内で観光を楽しんでいた。それまでは両国とも表面的には平和ムードだった。昔はほとんどこのような中東やマグレブ諸国には日本人観光客の姿はまったく見られなかったが、それがこのように今では世界のどこでも日本人の姿が見られるようになった。

 しかし、治安が安全になったから観光客が訪れるようになったのかというと、必ずしもそうではないと思う。それは訪問客の経済的、社会的事情が時を経て観光し易くなっただけのことであり、当事国の治安事情は別物で観光立国であったり、その逆である場合がある。所によっては、むしろ以前より治安は危うくなっているように思う。

 エジプト国内のデモがこれからどのような広がり方を見せるのか、或いは収束するのか、その場合現在の政治情勢はどう変わるのか、目が離せなくなってきた。

 エジプトのことを心配していたら、今日ブラジルの首都リオに住む古い友人、アーリンド・フルタードさんから手紙が届いた。しばらく私から連絡がないので心配していたが、X’mas Cardを受け取りほっとしたと書いてあった。彼は医者を引退してリゾート海岸・コパカバーナの近くに住む今年80歳になる明るくポジティブなオジサンである。1973年に2度目のアフリカひとり旅でカイロに滞在して、ピラミッドの幻想的なLIGHT & SOUNDオプショナルツアーに参加した時偶然知り合い意気投合したものだ。爾来ともに地球の反対側に住みながら、お互いの家庭を訪ねあい、40年近くに亘り親交を深めてきた。阪神・淡路大震災の時には、わざわざリオからわが家族の身を心配して国際電話をかけてくれたくらいおもいやりのある男である。今日もらったコパカバーナ上空の絵葉書に、私が訪れた彼のマンションと私が宿泊したオットン・パレスホテルを矢印で示してくれている。

 偶々今世界中から注視されているエジプトを介して、久しぶりに外国の旧友と相通じることが出来て、実に心が温まるようなさわやかな気持である。

2011年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com