今朝午前2時過ぎにカタールのドーハで開催されていたサッカー・アジア選手権の王者が決まった。日本が優勝したのである。3日前の準決勝でライバル韓国に延長線の末PK戦で勝って以来、連日マス・メディアはあらゆる角度から、決勝戦の対オーストラリア戦について予想を立てていた。その加熱報道ぶりは些か食傷気味となっていた。個人的にはオーストラリア戦は日本にとって身長の差でやや不利かなと思っていた。昨夜はテレビ観戦することもなく寝てしまったが、今朝のニュースはすべて日本が2大会ぶり4度目のアジア・チャンピォンに輝いたとの大々的な報道で溢れている。日本にとっては大分危ないシーンもあったが、相手チームを無失点に抑え、ともかく強敵オーストラリアを延長線の末に1-0で撃破した実力は誉めてやりたいと思う。
それにしてもFIFAの世界ランキングによると日本は29位だそうだが、近年の成長ぶりは著しい。チームが逞しくなったように思える。それは今までのように選手の言動にひ弱い印象が薄くなり、逆に普段通りの力を発揮出来る逞しさがチーム全体に身についてきたからだ。かつて日本サッカーはマイナースポーツの見本のように扱われ、世界に伍してとても戦えるような実力はなかった。それが、Jリーグが結成されてからメキメキ実力も向上して、ついにアジアの盟主に君臨することになった。とにかくメデタシ!メデタシ!である。
選手たちをよく観察してみると、昔に比べて大分変わったように思える。選手の1人ひとりが個性的で逞しくなった反面、傍若無人な言動と傲慢な振舞いも目立つようになってきた。それがグラウンド内で納まっていれば、許容されるだろう。ところがスポーツ面での活躍が、残念ながら他の分野でも許されると誤解する未熟な選手が増えてきたのも事実である。時折鼻持ちならない小生意気な選手が顰蹙を買い、世間からつまはじきにされる。それも時代を反映しているのかも知れない。
同じようなことは一般社会でも言える。素直でお行儀が良い若者が散見される一方で、エチケットを守れず、当たり前の常識すら身に付いていない若者が目につくようになったのも事実である。
ごく最近大学体育会クラブから一流企業へ勤め始めた若者に、彼と彼の会社にとって役立つ資料を送ってやったが、その後何の音沙汰もなくしびれをきらしてメールで資料を受け取ったくら知らせてくれたらどうかと注意したところ、慌てて謝罪の返信があった。だが、遅れた言い訳ばかり言ってあまり反省の色がないように思えたので、一社会人としては行動が遅いし言い訳が多すぎると老婆心のつもりでメールで忠告したら、それっきりウンともスンとも言ってこなくなった。小うるさいオヤジと嫌われたのだろう。ちょっとがっかりした。最近こういう風に他人からのアドバイスや小さな親切心を無視する若者が増えた。表面的には笑顔で如才なく振舞っているスポーツマンに見えたが、本心が透けて見えた。いずれ仕事で壁に突き当たることもあるだろうが、果たして挫けずに壁を突き破ることができるだろうか。ちょっとした他人の好意や配慮に思いが至らない現代青年に失望した次第である。
結局現代社会では年々人々の相互の交流が少なくなって、住みにくい環境となり、引き篭もり現象が見られるようになったのも、人々の利己的で相手を慮る気持が薄れたことが大きく影響していると思う。これも現代社会が忘れがちで、同時に大切なテーマであると思う。
日本サッカーチームの優勝から話が外れてしまったが、自分の力を思い通りに発揮出来る肝っ玉を持てるようになった若者は頼もしい。それを自分のわがままな言動ばかりに使わないで、周りをよく見てもっと社会を深く知ってもらえれば、現代社会ももう少し爽やかで捨てたものではないと思うのだが・・・・。