えらいことになった。3月に大阪府立体育会館で開催される予定だった大相撲春場所が中止と決まった。終戦直後の1946年夏場所以来65年ぶりの中止である。その当時とは事情も中止の意味も違う。その理由として記者会見した日本相撲協会の放駒理事長は謝罪したうえで、現在の状況では開催に当たってファンの理解が得られないことと、八百長の実態調査に相当時間がかかるからだと語った。全容を解明した後に八百長を行った人物を処分したうえで、ファンの理解をいただき堂々とした相撲を見せたいと語った。下手をすると春場所に続く5月の夏場所だって、現在の様子では事情解明までに至らず再び中止も考えられる。実際理事長はその点にまで言及した。
1954年春場所は私にとっては3番目の中学である京都市立上桂中学を卒業直前だったが、友だちと大阪府立体育会館へ2度までも観に行って、千秋楽には優勝した大関三根山の優勝パレードに付いて行ったくらい興奮した。あれから半世紀以上が経った。三根山と握手した感触が未だに右手に残っているような気がする。その春場所が今年は中止とは、実に残念である。
あるスポーツ・ジャーナリストが、スポーツや賭け事の八百長はファンを意図的に騙すことになるので好ましくないが、大相撲はスポーツと神事、伝統芸能の総合的な行事なので、ファンに大きな損害を与えない限り大局的、かつ多角的な面でメリットを捉えるべきだと言っていたが、こういう曖昧な受け止め方はどうだろうか。ジャーナリストに言わせれば、相撲に八百長はつきものであり、騒ぐ方がおかしい。そういうものだと納得して楽しめばよいのだという。
それも一理あると思うが、一足飛びにそういう論法で方を付けられても八百長をやった人間に助け舟を出すようなものではないか。それが本気なら、昨日放駒理事長は過去には一切なかった八百長が今回初めて発覚したというような言い回しは止めた方がいいと思う。
調査は長引くだろうが、関係者は逃げたり、隠したりせずに相撲界は膿を出し、相撲を絶やさないために徹底的な改革を行う必要があると思う。多くの問題点が指摘されようが、私は1にも2にも組織と役員の改革をやらないとダメだと感じている。特に相撲協会内部の人間だけで経営一切を取り仕切り、外部の人間にとって伏魔殿のような場にしておいて、自分たちだけで資産運用、利益分配を策するような誤解だらけの手法は、税金が充当されて成り立っている点から考えてもおかしい。
今日ブラックリスト上の14人の力士の、ひとりの力士の親方、間垣親方のごときは、尋ねられると関係ないと言ってふて腐れていたが、こういう不遜な態度も改めなくてはいけない。現在の各部屋が親方の個人資産のような形になっている部屋制度を、協会が一括管理しようとするアイディアが浮上した時にも、親方衆の中には大反対の声が上がったようだが、大義より利己主義を押し通そうとし、協会内部へ外部の人間が入り込むことに対して異常な拒絶反応があるらしい。そのように自分たちだけですべてを執り行おうとする偏屈な考えでは、とても再生への光が見えてこない。それなら「財団法人」の看板を取り下げて随意にやってみてはどうか。
とにかく1度組織も制度も、人事も徹底的に見直して、まったく新しい組織体「新日本相撲協会」として再デビューしてもらいたいと願っている。