昨日の本項に書いたように、今日は建国記念日で昔風に言えば紀元節に当たる。終戦翌年の紀元節を当時の国民学校の狭い講堂で、意味が分らないながらも全校生徒が、♪雲に聳ゆる高千穂の~♪で始まる「紀元節の歌」を唄いながら、お祝いした遥かな記憶がある。
ところが、建国や国の歴史を象徴するような言葉も話も、今日の新聞、テレビのニュースを見る限りまったくない。インターネットのWEBサイトのニュース欄を見ても関係記事が見られない。これでは何のために建国記念日を制定したのか意味がない。折角建国記念日を国民の祝日と決めたのだから、少しはメディアも報道面でもう少し取り上げるよう配慮すべきだと考えるがいかがなものだろうか。皮肉なニュースとして、天皇が東大病院で心臓の冠動脈の検査を受けられたというのが、建国、或いは王室に関する唯一のニュースである。
旧文部省教育海外視察団にお供してアメリカの学校を訪問した時に聞いた話がある。アメリカ人が決して忘れてはならないエポックメイクな日時として、アメリカ大陸発見の年(1492年)、アメリカ独立記念日(1776年7月4日)、そして配偶者の誕生日と結婚記念日だそうである。独立とか建国の年というのは、その国民にとっては肝に銘じて覚えておくべき日であることは洋の東西を問わない。特に忘れっぽい性格の日本人は、意識しないとすぐ忘れてしまう。それだけに日本の歴史を知るうえでも、国がもっと建国記念日の啓蒙化に力を注ぐべきだと思う。
今ロシアが北方領土を自国領土として強く主権を主張し出したのも、日本人の建国意識の薄い点を突かれたのではないかと気になっている。
せめて建国の日ぐらい、政府が文部省を中心としてマス・メディアが、国の歴史に関する事実を国民に伝える努力をする必要があると思う。今のありようは国を維持し、発展させていくための体を成していないと言ってもいい。
さて、このところムバラク大統領辞任要求デモが鎮静化していたエジプトで、今日再びデモがぶり返してきた。今日の朝刊各紙のフロント・ページはほとんど「ムバラク大統領辞任へ」と断定的に書かれていた。この後大統領が辞任演説をして職を辞するとの期待だった。軍の支持が得られず、混乱が収まらないので、身を退くという筈だった。ところが、大統領は権限をスレイマン副大統領に譲るが、課せられた責任を全うするために、その地位に任期いっぱい留まるというテレビ放送を行ったために事態は再び混沌としてきた。
一度権力の座に就くとどうしてもしがみつきたくなるようで、ムバラク氏も長期間に亘る任期を全うして多くの国民から惜しまれながら栄光の中で去りたいらしい。だが、今やムバラク氏の思惑は完全に外れた。ここで辞めるよりは、留まって自ら国を混乱から救う以外に国家を安定させる方法はないと考えたようだ。権力者の引き際というのは、つくづく難しいものだと感じる。
今日は1日中雪が降っていた。近年東京では珍しい。外へ出かけることもなく自宅の庭を見ていると雪を冠した松の木に風情がある。日本のしっとりした冬の情緒はやはり松と雪だ。