ついに現代のファラオ・ムバラク王国陥落! 日本時間の昨日深夜から今朝へかけてエジプト情勢が急展開した。昨日の朝刊新聞第1面には「ムバラク大統領辞任へ」とあったが、実際には職権の内かなりの部分を副大統領に委ねることにして、本人はまだ大統領の職を辞する意思はなかった。それが一夜明け今朝の新聞第1面では、昨日の見出しから「へ」が取れて「ムバラク大統領辞任」とはっきり辞任を打ち出した。夕刊紙の1面トップもほとんどが「ムバラク辞任」である。今度は本人のテレビ演説ではなく、替わって副大統領が公表したものである。とりあえずこれでエジプト政変の第1幕に幕が降りた。
ムバラク氏とその家族は、ヘリコプターで大統領官邸からシャルム・エル・シェイクへ向かったと言われている。シャルム・エル・シェイクはアカバ湾とスエズ湾の狭間に位置するエジプト屈指の高級リゾートとして知られ、ムバラク氏の別邸もあるが、むしろ1967年6月に勃発した第3次中東戦争時には、イスラエル空軍機がエジプト軍のアカバ湾の封鎖作戦を破壊するため電撃攻撃を仕掛けてひとしきり話題になった街である。ついに独裁者ムバラク大統領も、国民の民主化要求の声に抗しきれず、断腸の思いで30年に近い長期政権から身を退くことを決断した。
しかし、エジプトにとって問題はこれからである。ムバラク政権が強権政治下に民主化の芽をほとんど摘んでしまったために、この後受け皿として誰もが納得するような人物も、組織も、体制も見当たらないのである。更にもっと深刻な問題は、景気停滞により8千万人の人口の内、52%を占める25歳以下の若者に職がないことである。彼らの失業率は何と20%を超えているという。しかも石油産油国と見られているが、最近では石油の輸出量より輸入量の方が多いくらい産油国としての存在感が薄い。アラブ諸国の中ではイスラエルとの関係が比較的良好だったために、アメリカと当のイスラエルにとっても、新政権がどういう体制を作り、イスラム国としての立場を強く打ち出すようになるのか、従来と同じようにイスラエルに対して受容的な政策を取るのか、はらはらしながら見守ることになるだろう。
一方で、中東諸国の中でも長期政権の続く国では、チュニジア、エジプトに続いて「明日はわが身」と事態を深刻に受け止めている国もある。さしあたってイェメン、アルジェリア、サウジアラビア辺りでその影響が表れてくるのではないだろうか。
ムバラク氏の辞任を受けてスイス銀行では、早速ムバラク氏とその一族の資産を凍結した。その資産が何と5兆8千億円だというから小さな国ならまるごと買えてしまうほどの巨額である。極貧生活を送っている庶民がいる一方で、このように権力を行使して私的に蓄財していた人物がいたわけである。これでは貧困生活を送っている国民が怒るのも無理はない。
テレビ画面に映されるカイロの風景、とりわけナイル川に架かっている橋の遠景を見ていると、あの橋を渡った昔が思い出される。初めてエジプトを訪れた時はナセル初代大統領だった。2度目の時はサダト大統領で、3度目に訪れた時はこのムバラク大統領だった。その意味では、歴代すべての大統領と同じ都市・カイロで同じ空気を吸っていたことになる。何と言っても古代エジプト文化を造り上げた末裔たちの国であるだけに、印象的なシーンや建造物が多く、それぞれが懐かしく思い出される。
ムバラク氏辞任を受けて、オバマ大統領やキャメロン英国首相がコメントを述べていたが、彼らの存在感に比べて最後に記者会見でコメントを述べた、疲れたようなわが菅首相の影が薄く、暗い印象にはがっかりした。