1381.2011年2月23日(水) 同級生が半世紀遅れで同窓生に

 4年ぶりに湘南高校2年時のクラス会が藤沢市内の「銀座アスター藤沢賓館」で開かれた。当時担任だった春原淳三先生はその時のクラス会にご出席の後半年後に亡くなられた。90歳を超えてもクラス会にはいつも出席されていたが、晩年は体も不自由のご様子だった。

 クラスは51名だったが、すでに10名の仲間が鬼籍に入った。在校時には高校野球の県内強豪校として知られ、甲子園も狙ったが準決勝で敗れて叶わず、その野球部の部員がクラスには4人もいた。その内レフト、センター、ライトのレギュラー外野3人組がみんな逝ってしまった。センターの伊藤秀男くんは放課後の練習ではいつもラグビー部と背中合わせの形で練習していて特別に気があったし、日産のセールスマンとなってサラリーマン生活をスタートした時には、最初にブルーバードを買ってあげたことが思い出されてくる。

 今日出席した仲間から話を聞いてみると大病を患ったり、手術をしたり、五体満足な人は案外少ないようだ。その点では、多少部分的に具合が悪いところはあるが、外泊出来たり、時によっては海外まで行けるのは、72歳にして「健康体」の部類に入るのではないかと有難く思っている。それにしてもこのように15人も出席出来たのは、それぞれに幸せなことだと思う。

 51人の内女子生徒は僅か4人だったが、みな優秀だった。その中でも昨年先輩のノーベル賞受賞者・根岸英一さん、後輩の指揮者・大野和士さんとともに文化功労者に推された中西準子さんは、とりわけ目立っていた。残念ながらお忙しいらしく欠席だった。アメリカに渡った渡辺玲子さんはそれ以来出席していない。秋本さんと渡井さんは毎回出席して主婦業なりの苦労話をしてくれる。このクラス会が、1年時でもなく3年時でもなく、中途半端?な2年生時であることが珍しいと思っている。すでに先生はお亡くなりになったのに依然として続いているのは、一にかかって名幹事のきめ細かいお世話のお陰である。その幹事だった林功くんはクモ膜下出血で倒れたが、大分経過は良いようで今日も出席してくれた。快気祝いとして僭越だったが、昨年上梓の拙著を差し上げた。今年は後継者山口重裕くんがよくまとめてくれた。どんな集まりでもそうだが、そこには必ず縁の下の力持ちがいるものだ。わがクラス会がいつまで続くか分らないが、幸いにして来年も今日23日に行うことが決まった。

 仲間のひとり、図師征治くんが最後にエネルギーに火をつけるようなスピーチをしてくれたが、みんな彼の話に感心して聞き入った。昨年10月から通信教育学生として慶応義塾大学経済学部へ入学したという。卒業年次目標は、77歳の喜寿だと笑いながら述べていた。私の52年後輩にあたることになる。

 彼は高校時代も優秀だったのに、家庭の事情だろうか大学へ進学せず、当時の三井銀行に入行した。彼の周囲はエリートの学卒者ばかりだったという。真面目な性格だったので、高卒者なりに銀行員人生を全うし海外でもニューヨーク支店に3年間も勤めた。だが、こう言っては失礼だが、やはり学歴社会では後輩にどんどん追い抜かれて行って、コンプレックスにも取り付かれ、内心忸怩たるものがあったのではないだろうか。卒業後に新卒学生として職に就くことは考えていないと言っていたが、先輩?としてサジェスチョン出来るようなことがあれば、僭越だが無事卒業出来るよう協力してあげたい。

 先月原稿を送った国民生活センターから、昨夕校正ゲラをメール送信してくれた。取り急ぎ手直しをして再送した。中々良い仕上げになっている。来月の発行が楽しみである。

 さて、昨日クライストチャーチで発生した地震は想像以上に大きな被害をもたらしている。語学研修中にその建物が全壊して、未だに日本人語学研修生の生死不明者が10人もいる。瓦礫の山となって、それを取り除く作業が大変のようだ。他の不明者を併せて日本人でまだ生死が分らない人が27名もいるという。今日救助された男子学生は、右足を切断のうえ助け出された。向学心が強かっただろう学生の胸の内を思うと、切ない気がしてならない。

2011年2月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com