1385.2011年2月27日(日) 岡本太郎生誕100周年の催し

 今年は岡本太郎生誕100周年に当たることから、岡本太郎に関する催しやプレゼンテーションが各地で広く行われるようだ。偶々岡本太郎さんは、妻の父・川手一郎と慶応義塾幼稚舎から普通部まで同級生として、歌手の藤山一郎さんや作家の野口富士男さんとともに竹馬の友として親しく交わり、終生交流が途絶えることはなかった。岳父からも太郎さんの話は度々聞かされていたこともあり、親しい4人の交流について私自身エッセイも書いた。

 その岡本さんは明治44年2月26日生まれで昨日丁度満百歳を迎えたことになる。実は岡本さんは藤山さん、野口さん、岳父らと同じ明治44年生まれであるが、岡本さんだけが早生まれで本来ほかの3人よりも1学年上級の筈だった。ところが1人っ子だったせいもあり、中々地元川崎の学校に馴染めないという家庭環境もあって、幼稚舎に転入してきた。その時1年遅れて3人と同じ学年に入ってきた。幼稚舎に編入してからは学校の環境が気に入り、友だちとも仲良くなり幼稚舎生活をエンジョイしたようである。現在幼稚舎は渋谷区恵比寿、つまり天現寺地区に在るが、その当時は大学と同じ三田にあって川崎から青山へ引っ越してきた岡本さんは、自宅から三田までの通学を楽しまれたと仄聞している。

 昨日岡本さんがまさに百歳になった誕生日に岡本さんをモデルにした「TAROの塔」という4回シリーズのドラマ第1回が、NHKで放映されたので、妻と期待しながら観た。もとよりドラマであるので、ある程度の誇張は許されるが、ドラマでは学校名は明かされなかったが学校の寄宿舎生活で悩んでいたように描かれていた。その中で幾分変わった子という印象を与えたように描かれていた。まだ豊かでなかったあの大正時代に寄宿舎があったような小学校はほとんどなかったと思う。岡本さんは悪戯坊主だったが、学校生活をエンジョイしていたと岳父から聞いたし、幼稚舎の卒業アルバムの集合写真を見ても、腕白坊主の表情ありありである。

 寄宿舎云々は決定的な間違いというほどではないが、間違いは間違いなので、一応NHKにはメールでそのように知らせた。受信したとの通知があったので、あるいは明日にでも返事があるかも知れない。

 さて、昨日2.26事件が近年マス・メディアでほとんど報道されないことついて触れた。それが効いたのかどうか、今朝の朝日社説に2.26事件について堂々と朝日の意見を開陳している。しかも普段の2倍のスペースを割いている。

 社説論旨は2.26事件を歴史の分水嶺と断定している。その理由は、事件以前は軍部にたてついてまで正論を主張しようとする気風があったが、以降は軍部の言いなりになったというものである。それは、現在の国債大増発の流れに警告を発したものだ。軍国時代にも関わらず高橋是清蔵相は軍事費削減の主張により陸軍の権威に屈しない強い信念を訴えたからである。あまりこういう側面は紹介されないが、2.26事件を譬えに、日本が危機に立ち向かった時代の空気を伝える義務が、今日のメディアにはあるのではないか。

2011年2月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com