昨晩から下腹部が痛み出し、いつも通りブログの書き込みの後床に就いたが、今朝目覚めても相変わらず痛みを感じる。その後朝食を済ませトイレで用を足したら少しは痛みが和らいだが、それでも依然として痛む。このまま放っておくのも心配なので、月曜日に森内科に行ったばかりだったが、先生に診てもらった。特別原因ははっきりしないが、今日は絶食して薬を服用してしばらく様子を見ることになった。加齢とともに身体にも少しずつ欠陥が表れている。寂しいことだが、これが現実である。
さて、パソコンを打っていた午後2時50分前に大きな揺れとともにドカーンと地震が起きた。長い間揺れたが、その後に断続的に余震がやってきた。震源地は三陸沖だが、最近同じ三陸沖を震源とする地震があったばかりである。しかも今日の地震はマグニチュード8.8で明治以降最大規模の地震だという。津波は太平洋沿岸を北海道から沖縄までを襲った。まだ死者・行方不明者がどのくらい出たのか分らないが、昼間の地震とは言え、かなりの犠牲者が出たのは間違いなかろう。外へ出たらお隣の小林さんのご主人もおられ、屋根瓦が破損したと言っておられたが、見てみたら確かに大分破損している。雨でも降ったら雨漏りがするので至急修理したいと言っておられた。
私の書斎も本棚から本が落ち、壷も落ちたりしたが幸いクッションで壊れることはなかった。むしろパソコンを2台並行して使用中だったので、慌ててOFFにしたが、プリンターが机から落っこちてしまった。
各テレビ局はレギュラー番組に代えてすべて地震関連ニュースである。画面を見ていると津波に洗われる港周辺の状況を映し出している。陸上へ乗り上げた津波が、車と船を一緒にさらって道路を流れていくのを見ていると、津波の恐怖に度肝を抜かれる。JRをはじめ、首都圏の私鉄もすべて運行を中止している。鉄道のターミナルでは大勢の人が溢れ足の確保も出来ず、枝野官房長官が無理して帰宅しようとせずに会社の休める所で時間を過ごすようにと訴える有様である。
地震となると咄嗟に思い出すのは、1999年8月にトルコのチャナッカレで遭遇した20世紀最後の大地震である。あれは明け方でまだ就寝中だったが、長い時間揺れ続けた後に目覚めてボ~ッとしていた。しばらくして逃げようと思った瞬間ぴたりと止まった。余震はなかった。M7で死者が1万7千人だった。とにかく怖かった。今日の大地震は先日のニュージーランド地震の記憶が覚めやらぬ間の大地震である。
地震ばかりはどうなるものでもない。精々被害を最小限度に留めるべく努めるだけである。現在夜9時だが、まだ余震がある。余震が気になって風呂にも入れない。
それにしても猛り狂った自然は怖い。