1426.2011年4月9日(土) 先生を欺いた中学生のほろ苦い思い出

 昨日はやけに風が強かった。今日も時々風が吹き、時折雨も降っている。一昨日晩の大きな地震(当初M7.4と発表されたが、その後M7.1に訂正された)以来また落ち着かなくなってきた。東京都水道局では前回水道水に混入した放射性物質のインパクトが強過ぎたせいで、飲料用水の品不足騒ぎを起こしたことに懲りてか、前広に雨が降ったら水道水を溜め置くようにとの事前案内を始めた。何だか世紀末的な気象状況と備えになってきた。

 昨日卒業した京都市立上桂中学3年生時の担任だった清水義一先生から京都の銘菓・和菓子を送ってこられた。拙稿が掲載された「月刊国民生活」4月号をお送りしたお礼にとわざわざお手紙を添えられていた。まったく恐縮する。

 清水先生は現在82歳だが、一昨年秋卒業以来初めてお会いして懐かしい思い出話を交わした。その時はあまり個人的な話をしなかったが、今日先生へのお礼状の中で先生に嘘をついたお詫びをして許しを乞うた。

 罪滅ぼしというのはこういうことである。在学中理科を教えておられた先生は学期末試験だったろうか、「リアス式の三陸海岸は沿岸が凹凸の激しい地形になっているが、九十九里海岸は凹凸がなく一線になった静かな海辺になっている。その違いの理由を考えなさい」というような試験問題を出された。私は授業を聞いていなかったせいですぐに答が分らず、問題をじっくり眺めていてふと思いついた。質問は「考えなさい」と要求していて答を書けとは求めていない。そこでその問題に関しては白紙のまま提出し、後日答え合わせの時間に「答を考えました」と応えた。先生から「答を知っていたのか?」と聞かれたので、「答は知っていましたが、答を考えなさいと書かれていたので答は書きませんでした」と応えた。流石に先生も呆れたであろう、しばらく考えた後に、答が分っていたのなら点数をあげると言ってくださった。問題の隙間を突き完全に先生を欺いて点数を稼いだのだ。我ながら先生までも欺く悪い生徒だったと思う。今日の手紙で嘘をついたことを60年近く経って告白し、お詫びをした。罪滅ぼしとはこういう悪さをしたことに遅まきながら謝罪したということだったのである。文面に目を通されて先生は何と思われるだろうか。今更怒るわけにもいかず、笑いながらも許してくださるだろうか。

 あの時代は周囲にあまり悪質な悪戯をするような生徒はいなかったように思う。それでも結構先生に対して細やかだが小生意気な反抗をしたこともあった。社会科の棚橋先生に対しては、「控訴」と「上告」は同じ意味ではないかと食い下がったこともあったし、国語の岩崎先生が「日本水郷」のことを「ニホンスイキョウ」と言ったので、論拠を示して「ニホンスイゴウ」が正しいと食い下がり、岩崎先生が教師の面目にかけて「ニホンスイキョウ」を押し通したことに、憤懣やる方ない気持ちになったし、えらい理不尽を感じたこともあった。一昨年岩崎先生に会った時よほど言ってやろうかと思ったが、米寿を過ぎてお疲れのご様子だったので、敬老精神を感じて思い止まった。

 それにしても上桂中学校に在学したのはたった1年だったのに、大きな顔をして随分生意気な中学生だったのではないかと思う。でも2回の転校を含めて何と3年間に3つの中学校に通ったが、一番楽しく印象に残っているのは、まさに卒業したこの上桂中学校だった。今でも恩師や、同級生と文通出来ているのは楽しかった思い出の名残ではないだろうか。あれから57年が経つ。

2011年4月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com