1427.2011年4月10日(日) 高校先輩の明暗、石原慎太郎氏の都知事4選とトラック島酋長・相沢進さんの死

 今日は東日本大震災の影響を受け地域によっては実施が危ぶまれていた、統一地方選の投票日である。都民が直接関わるのは東京都知事選挙である。公示直前になって湘南高校の先輩でもある石原慎太郎・現都知事が、それまでの消極的な姿勢から一転して4選出馬に打って出た。面白くないのは一旦石原知事の後継者として石原氏の了解も協力も取り付けたうえで、神奈川県知事3選を取り止め立候補宣言した松沢成文氏である。結局松沢氏は出馬宣言を撤回して神奈川知事選にも出馬せず、ひとり臍をかむことになった。その辺りの本音は政治的過ぎて、外からは窺い知ることは出来ないが、松沢氏にとってみれば腸が煮えくり返る思いであろう。

 妻と散歩がてら満開の桜並木の呑川通りを息子たちの母校・東深沢小投票所へ出かけた。石原氏の対抗馬は、飲食店チェーン「和民」のオーナー・渡邊美樹氏、前宮崎県知事・東国原英夫氏、共産党前参議院議員・小池晃氏、発明家・ドクター中松氏ほか6氏である。年齢的にもやや疲れ気味でかっての精彩は感じられないが、それでも現状では現職石原氏の優位は揺るがないだろうと思っていたところ、NHK夜8時の「統一地方選開票速報」スタートと同時に早々と「都知事に石原氏当選確実」のテロップが出た。8時投票締め切り、即「当選確実」である。あまりにも早過ぎるのではないか。続いて神奈川県知事、北海道知事にも「当選確実」の表示が出た。石原氏らの圧勝ぶりに些か拍子抜けである。世間からいま最も真剣に仕事をしていないと見られている集団が中央・地方の政治家の人たちである。これから4年間しっかり気を引き締めて、住民のことを真剣に考え職務に邁進してほしいものである。

 さて、今日何気なくインターネットを覗いていて、5年前に相沢進さんが75歳で亡くなられていた(2006年5月18日逝去)ことを知り、懐かしい記憶が甦ってきた。小さな接点ではあったが、個人的に存じ上げていた人だけに残念である。

 1970年代に戦没者遺骨収集事業に携わっていたころ旧厚生省から中部太平洋諸島との一部の交渉を仰せつかり、その当時トラック島の実力者だった相沢さんと一度だけ相沢さんの会社でお会いしたことがある。相沢さんは異色の経歴の持ち主で、プロ野球選手として、相沢さんによれば同じような環境にあったハワイ出身の若林忠志監督の誘いでパ・リーグ発足時に毎日オリオンズに投手として入団した。投手としての通算成績は7年間で8勝17敗、防御率4.20で取り立ててぱっとした成績ではなかったが、大柄ではなく使いやすい器用なリリーフ投手としてそれなりの存在感があった。その相沢さんが偶々高橋ユニオンズにおられた時慶応のスター選手で、社会人チーム「東洋高圧」に入社が内定していた、石原慎太郎氏と高校で同級生だった現野球評論家・佐々木信也さんを強引に高橋ユニオンズに入団させた。湘南高校の後輩として佐々木さんを熱心に誘い、プロ入りに悩んでいた佐々木さんをプロの弱小球団入りへ踏み切らせたようだった。佐々木さんはその年パ・リーグの最下位チームにあって全試合に出場し八面六臂の大活躍をして、新人王こそ稲尾和久投手(西鉄)に譲ったが一躍リーグを代表する選手になった。相沢さんからその話を聞いて、そのせいであろうか相沢さんは、佐々木さんのそのまた後輩である私にもその後目をかけてくださるようになった。

 1970年代当時の旧南洋群島にはパラオ島とトラック島に勢力を二分する日系人の勢力があった。かたやパラオの森さんであり、こなたトラックの相沢さんだった。相沢さんと森さんは一族が同じような境遇にありながら表面的にはあまり良好な間柄には見えず、どことなく張り合っている空気があった。当時の厚生省としては遺骨収集事業を進めるに当たっては、それぞれに事業を成功させて島の実力者となったお2人の協力が欠かせなかったが、お2人の間の調整に苦労されて、どちらかと言えば温厚派であるパラオの森さんに肩入れしている風があった。私も何度か森正隆さんにもお会いして随分貴重な情報をいただき、それを厚生省に伝えて役目を果たした。

 内輪話になるが、尊い国家事業に献身的に協力されたお2人の厚意に報いて、日本国として感謝の気持ちを顕し外国人叙勲者として顕彰する筈だったがそうはならなかったのも、今にして思えばお2人の関係を慮り過ぎた当時の厚生省の深謀遠慮があったからではなかったかと勝手に推測している。

 相沢さんからJR藤沢駅前に相沢不動産という会社があるが、あれは親戚だと仰っていたが、その頃確かに藤沢駅南口に相沢ビルが建っていた。

 相沢さんのお父上は元住友社員としてトラック島に勤めておられたと伺ったが、森さんはお父上が移民として昭和の初めにパラオ・コロール島へやってこられた。お2人のお父上はともにそれぞれの島の実力者である酋長の娘と結婚された。相沢さんはトラック島の36人の酋長の中でも隠然たる影響力を持ち、長年に亘って「酋長会議」議長を務めておられた。一方、森さんのお父上は戦前島田啓三が描いた「冒険ダン吉」のモデルとも言われ、穏やかなお人柄で人望もあり、現在孫に当たるマニー・モリ氏は第7代ミクロネシア連邦大統領を務めておられる。

 私にとってはお2人とも束の間の交流ではあったが、特に役所の代理として交渉役を務めさせてもらったせいもあり、仕事上お会いした人たちの中でも強く印象に残っている方である。

 石原都知事が4度華々しい脚光を浴びることになった今日、図らずも偶々異国の先輩相沢進さんが亡くなられたことを知り、寂しい気持ちとともに感慨無量の思いが込みあげてくる。同時に改めて一抹の寂寥感に捉われる。

2011年4月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com