東日本大震災の影響は広い分野で表れてきた。福島第1原発の放射性物質漏洩の直接的な被害は、住民を居住地から避難させる事態となっている。それも強制避難、屋内避難、一時避難、計画避難、自主避難、等々いくつものカテゴリーに分けられ、それぞれの住民自身にもどうやっていいのかまったく分らない。そこへ一方的に避難のカテゴリーが変わったりする。しかも、ほとんどが自分の責任において住処を離れることになる。いつ自宅へ帰れるかは分らない。もちろん土地と結びついていた仕事は手放さなければならない。第1次産業である農業、漁業などは悲惨である。
そういう町村の住民に直に実情の説明と、説得をしようと昨日福山副官房長官が、今日は枝野官房長官が計画避難をしている村へやって来た。
生きるか死ぬか必死になっている村民を前に、政府首脳がいくら説明しても議論はすれ違うばかりで、村民は納得出来ない。県外へ避難した住民は、そこで新たな問題に直面する。住宅問題、子どもの教育問題、将来の生活設計、等々が住民を落胆させ意欲を減退させる。フレームとしては、復興構想会議が発足したが、避難生活の現場はそう簡単には収まらない。
例えば、漸く東電が住民に保証金を仮払いすることを伝えた。1所帯に100万円、単身所帯に75万円だそうである。しかも当面はごく一部の住民に対するものである。ところが、その支払い場所が市町村役場となったから、普段でも復旧作業に追われている市町村役所がそんな業務をやる時間も職員もいないと言いだした。段々ストレスが溜って空気もすさんでくる。この先殺気立つようなことがなければ良いがと思う。
そんな殺伐としつつある空気の中で、芸能人やスポーツ選手がいろいろな形で支援運動を繰り広げている。こういう動きは、若者のボランティア活動とともに阪神淡路大震災の時から表面化してきた。ところが、これまでにも度々指摘してきたが、政治家の被災地への支援活動というのがどうも影が薄い。否むしろ、ほとんど活動をやっていないと言った方が良いだろう。政治家というのは、住民から預託を受けて住民に成り代わって政治の場で住民の声をアピールし、それを反映させることが第一義的な仕事である。当然住民のために活動して責務を果たさなければならない。それにも拘わらず、政治家が住民のために精一杯汗を流している様子は残念ながら伝わってこない。選挙の時だけ、政見を公表して約束ごとのポーズをとるだけで、住民が困った時には動いてくれはしないものである。この辺りに不誠実な政治家の本性が表れて見えるものだ。
今度の大震災は、罹災者の苦悩を伝えている一方で、政治家のウソツキぶりと怠惰を明らかにしてくれたことは間違いない。