東日本大震災による被災者への義捐金呼びかけが、全国各地で手広く行われていることを知り、心が和む。連日報道される被災地の悪魔の爪あとや、そこで暮らす人々の声を聞いていると可哀相で、家族が別れて生活したり、避難警戒地域に住む人々の悩みは、元を辿れば人災とも呼ばれるべきものであるだけに心が痛む。
数日前の新聞記事によれば、全国の刑務所に収容されている受刑者から2千数百万円の義捐金が集められたという。受刑者1人当たり1万円弱の金額が寄せられたことになるらしい。法律を犯した罪深い人たちでさえ被災者への憐憫の気持ちがある。ところが、国会議員を始めとして政治家集団から、義捐金が寄せられたという話はまったく知らない。或いは政治家として法律に抵触するケースでも恐れて、秘かに個人的に資金を提供した政治家がいるのかも知れないが、現在のところ尊いお見舞いの心情を義捐金として表した政治家は耳にしていない。
端的に言えば、政治家が被災者に対して抱いている憐憫の気持ちとか義侠心というのは、罪を犯した受刑者より劣るということなのだ。
そんな中で支援・復興プロジェクトの全体像が確立されず一向に前へ進まないのは、力強く復興を後押しする組織の一本化と、それを支える財源ファンドが決まらないからである。2週間前に復興構想会議が立ち上げられ、早速委員も決定して、五百旗頭真議長が復興振興税構想なるものを口にした途端、外野から大ブーイングである。新税を即増税と捉えて「増税反対包囲網」が出来つつある始末である。増税に異を唱える人は「景気にマイナスを与える増税論議であってはいけない」と国民の声を背負ったようなことを言う。復興構想会議は本来、政治的な縦割り組織から離れて大所高所から意見を言える立場である筈なのに、権限も何もあったものではない。こうして新しい組織は他の似たような名前の組織と同じように機能せず埋没していくことになる。
ならば、愚かな政治家たちに伺いたい。復興のための財源をどうやって手当てしようというのか。被災者のことを考えようともせず、私利私欲で仲間内の足の引っ張りあいばかりして、新しいものに馴染もうとせず、つぶすことばかり考えて事態を停滞させているだけではないのか。一向に解決策が生み出されていない。
今日経済産業省が3月の鉱工業生産指数を発表したが、前月比15.3%も低下して過去最大のマイナスとなった。わが国の国債の価値がまた下がったのは、震災によって悪化するであろう財務状況が悲観的に見通されているからである。
さて、WEBサイトに「はてなアンテナ-犬のアンテナ」というのがあり、著名人の提言を取り上げている。以前にも本稿をそっくり取り上げてくれたが、昨日の映画「100,000年後の安全」鑑賞に関する本稿全文を早速評論家・加瀬英明氏の提言の後に取り上げてくれた。僭越だが、ある程度内容を評価してくれたのだろうか。そうだとすれば嬉しいことである。以前にも日本赤軍議長・塩見孝也氏の作文と並列して掲載してくれていた。
ただ、昨日の拙文の最後に14日の文章の一部をくっつけて、その時のやや刺激的な見出し「大阪をどうするのか、橋下知事。日本をどうするのか、愚かな国会議員たち」を加えられたのは、全体の論調を変更する恐れがあるし真意が伝わらない心配もあるので、載せるならキッチリ分けて全文を掲載してほしい。一応自分で書いた文章が真意を曲げられないよう今後注意深くチェックしていきたいと思っている。