高校の先輩で旧南洋群島のひとつ、トラック島酋長だった故相澤進さんにまつわるプライバシーとエピソードを伺うため藤沢市内の相澤さんの身内の会社を訪ねた。トラック島で相澤酋長に初めてお会いした際相澤さんから藤沢市内に親戚が不動産業を営んでいるので、機会があったら訪れてほしいという話を聞かされていた。相澤さんは長年に亘って厚生省が主管する太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に協力されてきた。終戦と同時にトラック島から藤沢へ父親とともに引き揚げられ、その後プロ野球で活躍された4年間を併せても日本にいたのは12年ほどで、再び母親のいるトラックへ戻り、そこで事業を起こされたので、日本にはプロ野球選手としての記録以外に取り立てて足跡が残されていない。相澤社長の祖父三治さんと進さんの父正太郎さんが兄弟で一緒にトラック島へ移民したが、元々相澤家は藤沢市の出身だと伺った。身内である相澤土地㈱相澤光春社長は相澤家には家系図のようなものはなく、あまり詳しい系図はご存知ないということだった。今日は写真を1枚拝借し、そのほかに毎日オリオンズ時代のユニフォーム姿と酋長の正装姿の写真は、貸し出しても良いかどうかをトラックにいる進酋長の長女・ナンシーさんにお伺いをたてるということでお借りするのはペンディングとなった。
トラック島の相澤さんの様子については、生前兼高かおるさんを度々案内され親しかったので、兼高さんに伺ってみてはどうかとのアドバイスもいただいた。タイムリーにも25日の日本旅行作家協会総会で会長から名誉会長になられる兼高さんにお会い出来ると思うので、兼高さんから見た相澤酋長の話をお聞きしてみたいと思っている。
相澤社長には日本ミクロネシア協会に資料がある筈だから照会してみてはどうかとのアドバイスもいただいた。来週高橋ユニオンズ時代のチームメートだった、同じく高校先輩の佐々木信也さんにお会いするので、佐々木さんからも個人情報を伺えれば大分助かる。
亡くなられた人の周辺情報を探るのは中々大変だとノンフィクション作家のご苦労が思われる。
さて、藤沢から真っ直ぐ帰宅してテレビで衝撃的なニュースを観て驚いた。オバマ大統領が、9.11同時多発テロの黒幕である、あのウサマ・ビンラディンをパキスタン国内でアメリカ軍特殊部隊が殺害したと日曜日の深夜に公表したのである。このニュースは一瞬にして世界中を駆け巡った。アメリカ国内では大々的に歓迎され、アメリカ国内は沸きかえっている。このフィーバーぶりは、いかに憎き殺人鬼をやっつけたとは言え少々異常な感を受けるほどである。意外だったのは、パキスタン領内に潜伏していたことだった。時間をかけて住まいを転々としていたらしいが、最も精度の高い情報としてアフガンとパキスタンの国境周辺に潜伏しているとの噂が流れていた。それがパキスタンの首都イスラマバードの北方僅か50kmのアボタバードというリゾートだという。
2000年にパキスタンを訪れ北部地帯のペシャワール、ラホール、イスラマバードを歩き、特にアフガンとの国境であるカイバル峠に至った時、その手前の集落で9.11テロにつながる不気味な空気を察して、ひょっとするとアメリカ国内で大きなテロがアル・カイーダによって引き起こされるのではないかとの言い知れぬ不安のような気持ちに襲われたことがある。結局その1年半後に9.11テロは引き起こされた。そんなことを思い起こさせてくれるウサマ・ビンラディンとアル・カイーダである。そのラディンがアメリカ当局によって殺られたのだ。アメリカ政府とアメリカ国民にとっては、溜飲の下がる思いであろう。彼の死によってしばらく散発的な騒ぎは起きるだろうが、いずれテロ活動が収束へ向かうことを望んでいる。
ただ、家族を失った人たちにとって、ラディンが殺されようが逮捕されようが、ラディンの口から本心を聞かなければ心が休まらなかっただろう。その意味では遺族にとっては、1件落着との心境にはなれないだろう。
アメリカにとってもう1人の目の上のタンコブ、アラブの暴れん坊・カダフィ大佐だが、一昨日リビアの大佐の住まいがNATO軍の空爆により破壊され、大佐の息子たちのうち1人が子どもと一緒に亡くなった。アメリカにとってはこのニュースも内心ちょっぴり嬉しいのではないか。リビアに対するNATO軍の介入に関しては、必ずしも国際的な同意が得られているわけではなく、アメリカですら腰が引けていた。しかし、最近になって体制側の攻撃により反体制側が形勢不利となり、軍事力において圧倒的優位に立つ体制側の攻撃により反体制側が押し捲られている。そこでNATO軍も軍事施設への攻撃に限定して空爆を続行していたが、その状況下でカダフィ家が直撃されたようで、今後の成り行きがどうなるか予断を許さない。
このようにアラビアンナイトの世界やイスラム過激派の世界では、相も変わらず理解不可能な出来事が起きる。これからもどうなるか分らないが、取りあえずほっとしている。