本年度第1次補正予算が2日参議院本会議で珍しく全会一致で可決、成立した。この補正予算は東日本大震災の復旧対策を盛り込んだ総額4兆153億円から成っている。
一方で、福島第1原発事故に伴う損害賠償をめぐる政府内の試算が明らかになったが、これが第1次補正予算とほぼ同額の4兆円だそうである。その半分を東電の負担として、電力各社が今後10年間に亘って負担する内容になっている。東電が負担するのは当然としても、他の電力会社にとっては「想定外」の負担になり辛いところである。過分な負担に耐えつつ、現状の電力供給量を維持しなければならない。更に今後茨の道が予想される原発建設問題にどう対処すべきか、出来るだけ早い機会に結論なり、方向性を示さなければならない。
大震災直後に石原慎太郎・東京都知事が原発に代わるべき代替エネルギーは他にはないと断言した。福島原発事故のどさくさにも拘わらず石原知事に同調する声が強まりつつある流れの中で、一昨日作家・高村薫氏がNHKの取材に応えて原発を止めなければならないと不安な気持ちを話していた。こんな危険で費用がかかるエネルギーは失くすべきだと持論を述べていた。
われわれはこれまで原発についてほとんど無知だった。金子みすヾの詩ではないが、「『安全』と言われれば『安全』、『無事故』と言われれば『無事故』」と信じてきた。今回の事故によって初めて他の科学的な設備は根元さえ押さえれば、すべての動作は止められると信じていたことが、原子力だけは不可能だと教えられた。後輩の元理系大学教授から原子力はそうは行かないと諭されたことは思いがけないショックだった。更にその元教授が「放射能は煮ても焼いても無くならない」と言っていた。放射性廃棄物、つまり核のゴミは捨て場所がなく、いつまでも消滅しないということを知ったことは大きな衝撃だった。そのせいだろうか、その処理方法が先日観賞した映画「100,000年後の安全」のテーマとしても取り上げられた。
この処理のためには危険、不安、時間、資金等々の問題が山積している。そうだとすると原子力発電は経済的だと言われてきたが、決してそうではなく高村氏が言っているように、原発は危険でお金がかかり過ぎることが分った。原発の新規計画は今後慎重であるべきだし、既存の原発も場合によっては逐次廃炉の方向へ進め、自然エネルギーの開発と節電へ進むべきだとの考えも理解出来る。
実際今回も賠償額だけで4兆円もの大金を支払わなければならないとするなら、計画段階から完成までの過程で投資される資金などを含めて考えれば、高村氏の主張するように、ここは一旦立ち止まり、あらゆる資料をたたき台にして提示された選択肢を徹底的に検討し、国民合意の下でわが国の原子力政策、またエネルギー政策を考えてみることが重要であると思う。
今日海江田万里・経済産業大臣が中部電力浜岡原発を視察した。運転停止している3号機の再開について結論を出すため現地を訪れたのだ。川勝平太・静岡県知事は充分な安全策が講じられていないとの立場から現時点での再開に否定的である。
浜岡原発の地元・御前崎市では歳入の42%が原発に伴う国からの交付金で賄われているという。これまでの安全神話が結果的にこの原発城下町を財政的にも苦しめ悩ませる原因となっている。ここにも「建前反対・本音賛成」のムードがある。住民の悩みは深い。