1506.2011年6月30日(木) 日本遺族会が九段会館閉鎖のうえに職員9割を解雇

 今年認定登録された世界遺産のリストを探し当てた。昨日本稿に書いたように中国の「杭州西湖の文化的景観」が認定されたが、その他に1968年 訪れたことがあるケニアの「モンバサのフォート・ジーザス」も登録認定されていた。随分懐かしいメモリーである。首都ナイロビから夜行列車で東海岸のモン バサへ行った。夕方フォート・ジーザス近くを散歩中、親切なインド人夫婦に怪しげな男が尾行しているようだからこの場を早く立ち去った方がよいとそっとア ドバイスをもらい、幸い危険な目に遭うようなことはなかった。その翌日望み通りではなかったが、路線バスで四苦八苦しながら長い時間をかけてナイロビまで 戻ってきたことを懐かしく思い出す。そのフォート・ジーザスが登録され、私の世界遺産訪問暦も159番目となった。世界遺産も印象の強いところとそれほど焼きついていないところがある。その点では、このフォート・ジーザスは40年以上も前のことだが、今でも強く印象に残っている。早速HPを修正した。
 今朝の朝日新聞を見て驚いた。「日本遺族会職員を130人 中9割解雇へ-九段会館閉鎖の影響-」と書かれている。九段会館が日本遺族会の持ち物で、スタッフは遺族会の職員によって運営されていることは百も承知 だったが、ついにここまで来たかと感慨深いものがある。東日本大震災で天井が崩れて2人の利用者が亡くなられた。飯田ゼミの会合で毎年利用していたのも、 遺族会でお世話になった人が九段会館へ異動となったからである。厚生省の戦没者遺骨収集団、遺族会主催の戦友会、その他にも戦友会の慰霊団などで打ち合わ せ、結団式でしばしば九段会館を利用した。それが大震災のあおりを受けたとは言え、建物の底が抜けて耐震性と耐久性に問題を生じ、ついに建物の再建を諦め た。これには、日本遺族会の組織、立場、影響力がある。年々遺族会の構成員である遺族が減少し、基盤が弱くなったことは間違いない。かつては圧力団体と取 られかねないほど政治力が強かった遺族会も、それを支える遺族が少なくなっては影響力も落ちる。その遺族会に中部太平洋戦没者遺骨収集団では随分お世話に なった。
 朝日記事によると日本遺族会職員は130名全員を解雇し、その内1割ほどを再雇用してその人たちで事務を続けるようだが、果たして戦後続いていた各方面への遺骨収集事業を実施することが可能なのか気になる。年とともに各戦跡で収骨数も減っている。それがNPO団体への丸投げ遺骨収集団となって問題を起こした。今後戦没者の遺骨収集事業は、われわれが大勢で恭しく行っていた時のように、引き続き細々ではあっても堅実に国家事業として行っていくことができるのだろうか。気になるところである。
 午後突然雷雨が激しくなり、日本財団で開かれた「構想日本」のセミナーを欠席した。原発被災地の菅野飯館村長が来られる予定だったので、残念なことをした。

2011年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com