何とも未熟と言うべきか拙いと言うべきか、お粗末としか言いようのない原発再稼動に関する政府の対応である。敢えて言うなら、菅首相の方針がはっきりせず 二転三転し、閣僚の間でも意思の統一も出来ず、各人各様に発言して内閣の足元がふらふらしている状態である。これでは信頼感がまったく生まれてこない。こ んな有様では、これほど重要な原発問題を精査したり、判断する能力も資格も持ち合せていないと判断せざるを得ない。
昨日から今日にかけて噴き出した政府首脳の迷走と未熟ぶりはあまりにも酷い。原発再稼動について先月26日に海江田万里・経産相が玄海原発のある佐賀県を訪れ、定期検査の結果安全が保証されたので、停止中の原発を運転再開するよう申し入れた。それ以前に菅首相は全国の原発が定期検査を終えれば安全であると公表していた。経産相の申し入れを受けて29日 に岸本英雄・玄海町長が運転再開容認を九州電力へ伝えた。古川康・佐賀県知事も再稼動容認を覗わせるニュアンスの言葉を漏らした。まだ、運転再開には時期 尚早ではないかと世論はもちろん、私自身も感じた。原発立地町、原発立県の「原発漬け」となってしまった拭い難い事情が表面化した。
だが、これと政府の判断・決定とは筋が違う。言うならば、佐賀県も玄海町も再稼動ヴァージョンに入ってしまっているのである。周辺市町村の冷たい視線を背に受けながら、玄海町は‘GO’ サインを出してしまった。そこへ昨日になって首相サイドが、唐突に運転再開のための安全のために余裕分として「ストレステスト」を行うと言い出した。専門 的過ぎてその内容はあまりよく分らないが、安全のために念には念を入れるという主旨自体は歓迎されるべきである。私がここでより安全性を重視しようとする 政府を批判し、早すぎる再稼動の決定を下した玄海町に同情するのは、政府のやり方があまりにも常識を欠き、二転三転してことの順序を間違え、しかもそれも 時間をおかずに簡単に置き換えるイージーな言動であるからである。
菅内閣には誰一人として判断力のある人間がいないことが悲劇の始まりなのだ。
この「ストレステスト」の実施により、また一からやり直しである。当然政府に翻弄された玄海町長は大むくれで、今日になって再稼動容認の撤回を言い出す始 末である。県知事にしても怒り心頭に達して、何のための玄海原発安全宣言なのか、なぜ「ストレステスト」が今なのか、と枝野幸男官房長官に会い直接不満と 不信感をぶつけている。
同じ菅政権の原発担当閣僚である海江田経産相に至っては、先月末にわざわざ佐賀県に足を運び原発再稼動のために根回しをしたばかりなのに、菅首相に梯子を 外されたとの感情は捨てきれない。原子力担当大臣が不信感を募らせているのである。そして、菅首相の原発政策に不満の溜った海江田経産相は、今日午後の参 議院予算委員会で大臣を辞する発言をした。どうなってんだろう、この内閣は???。
とにかく今日言ったことが、翌日には反対意見へ転化するのだから、手に負えない。こんな好い加減で子どもじみた政権運営は未だかつて記憶にない。
ところが、政治家が政治家なら、民間の電力会社も電力会社である。昨日九州電力で呆れたメール事件が発覚した。玄海原発の運転再開問題を佐賀県民に説明す るため国が主催したテレビ番組で、再開賛成の意見をメールで送るよう九電幹部社員が子会社や取引会社へ圧力をかけていたことが判明した。これでは世論を自 分たちに有利に誘導するためのヤラセではないか。政府同様お粗末の限りである。真部利応・九電社長の記者会見における応対も低レベルで、まるで小学生の学 芸会と変わらない。何でもかんでもノーコメントで、差し出されたメモ用紙を見てやっと責任を感じていると言ったが、社長は今日になって辞任する意向を表明 した。こんな人物が社長になれるのだから、電力会社の程度も知れよう。元々電力会社なんて国策企業みたいなものだから、パフォーマンスが政治家や公務員と 似てくるのも想像がつく。
しかし、それにしてもこの数日間はわが国の原子力行政で、国も国策会社も無能を曝け出した。こんな調子では福島原発事故は収束できないのではないかと思うと気持ちも寒々としてくる。