1514.2011年7月8日(金) 懐かしきかな!加藤隼戦闘隊

  「歴史街道」8月号特集に「加藤隼戦闘隊」が採り上げられている。♪エンジンの音轟々と~♪で始まる勇ましい戦隊歌とともに、加藤隼戦闘隊が懐かしく甦ってくる。早速買い求めてぱらぱらっと頁を捲ってみると懐かしい方々の写真とお名前が目に入ってきた。1972年1月戦後初めて「加藤隼戦闘隊ビルマ戦跡巡拝団」を企画、案内して以来、ビルマへ一緒に巡拝された方々である。すでに皆さんほとんどがお亡くなりになっておられる。
 加藤戦闘隊といえば、その行動は満州の牡丹江からスマトラのパレンバンまで広範囲にまたがるが、何と言っても主 戦場はビルマである。加藤建夫戦隊長が散華されたベンガル湾に臨むアキャブ海岸の慰霊祭を始め、ビルマ各地で戦没者を弔う慰霊祭を行って同部隊戦友の方々 と旅を続ける中で、数々の忘れ難い体験をし貴重なお話を伺った。
 現在わが国では政治が機能せず、東日本大震災という未曾有の国難に遭遇して国民の間に国家のリーダー不在が囁かれている。
 加藤戦隊長が部下に与えた訓示が3つある。「どんな困難にあっても平常心を保つ」「団結を乱さずに組織戦を重視 する」「任務遂行を第一とする」である。この訓示を胸に飛行第六四戦隊(加藤隼戦闘隊)は、戦隊長の指導よろしきを得て戦隊はよく統率され輝かしい戦果を 挙げた。加藤戦隊長の抜きん出たリーダーシップは、いかなる部下をも心酔させずにはおかなかったようだ。第1回巡拝団で訪麺した折、招待されたビルマ政府 迎賓館でチッ・キン元内務相から、加藤戦隊長の人間性とリーダーシップについて賞賛の言葉をいただいたほどである。
 戦後復員した隊員は日本各地に散って行かれたが、その後東京都内在住の何人かの世話役のお骨折りにより、戦隊は 再結成?され、中心となった幹事さんが亡くなるまで、六四会として毎年六月四日に靖国神社に集い、加藤戦隊長を始めとする多くの戦友の霊を慰めていた。戦 隊長未亡人の加藤田鶴さんも必ず参列され、隊員は仲良くいつもまとまっていた。戦隊には戦隊長から継承された断固たるリーダーシップと困難に打ち克つチー ムとしての固い結束力があった。
 それに引き換え時代も状況も異なるが、今の政界に当てはめてみると現在の首相や閣僚ではこの訓示をまったく遂行できていないことが分る。仮に戦争をやったら菅内閣は完膚なきまでに叩かれるということなのだ。
 必ずしも戦陣訓を見習い採り入れるべきだとは思わないが、加藤部隊長の訓示は説得力があり、戦時に非ずとも納得し得るし、場面に応じては現在でも充分通用する。
 その後何度も六四会の方々とビルマへご一緒したが、私自身旅行業者としての営業活動をやってこられたのは、この 戦隊の素晴らしい方々と巡り会えたこと、そして皆さんの固い結束とチームワークに目を見開かされたことにあると思っている。営業のきっかけと本質を教えて いただいたのは、実に加藤隼戦闘隊の皆さんのお陰だと思っている。

2011年7月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com