昨日の朝日朝刊にベトナム戦争中一世を風靡した、元南ベトナムのグエン・カオ・キ氏が、23日マレーシアで死亡したとの写真付の囲み記事が載っていた。享年80歳だった。ベトナム戦争中常に彼の一挙手一投足が世界中から注目され、若くして力を得た空軍パイロットはグエン・バン・チュー大統領の下で副大統領としてアメリカの支持を得て、北ベトナムやベトナム民族解放戦線と戦った。だが、卑劣にも1975年4月、あの象徴的なサイゴン陥落の直前に米軍ヘリでサイゴンを脱出してアメリカへ亡命した。
存在感の強い個性的な軍人で、プレイボーイ的パフォーマンスで何かにつけ話題になることが多かった。私がベトナム反戦運動に関わっていた間、彼の動きが連 日マス・メディアで派手に報道され、あのひげ面の小憎らしい顔を見ない日は一日たりとてなかったほどである。われわれにとっては、にっくき仇のようなもの だった。その点でグエン・カオ・キはベトナム民主化に障害となった、ゴ・ディン・ジェム大統領、弟のゴ・ディン・ヌー秘密警察長官、妻のゴ・ディン・ヌー 夫人らと並び、最も警戒され嫌われた人物のひとりである。
1967年1月私が初めて戦時下のサイゴンを訪れた時、彼は得意の絶頂にあった。その意味では、栄枯盛衰「奢れる平家は久しからず」を味わった典型的な人物のひとりである。ベトナム戦争が終って早や36年が経過した。戦争の匂いは遥か彼方へ遠ざかり、南北統一が実現したベトナムでは戦争当時北ベトナムの後ろ盾となって力強く支えた中国が、今では南シナ海問題でそのベトナムの権益を脅かしつつある。世界の流れと考えも変わったなぁとつくづく思う。
グエン・カオ・キの死は時代の流れと同時に感慨深いものを感じる。
さて、昨日起きた中国高速鉄道の事故について、常識的にはとても考えられない事後処理が成されている。事故発生以来まだ1日しか経っていない昨日、早くも 事故原因究明の最大の証拠品である転落した事故車両を壊して穴を掘り埋めてしまったのだ。そして、事故現場では試運転を開始して、平常通り高速鉄道が走っ ている。
呆れるというか、驚いたというか、あまりの手際の良さには開いた口が塞がらない。JR西日本の福知山線事故では、事故発生後最初の列車が運行されたのは事故発生から55日 目である。こんな荒っぽいやり方では事故原因を調査するというより、事故原因を隠蔽しようとの意図ありと見られても致し方あるまい。流石にいつも政府に楯 突かない御用新聞が証拠隠滅だとその対応に批判的である。一般的に事故の原因として「安全よりスピード」の中国当局の意向が反映されているという見方が多 い。
ところが、今日事故最寄り駅でこれから乗車しようとしていた乗客がインタビューされた時、高速鉄道は恐いが急ぐので高速鉄道を利用するとか、チケットを 買ってしまったので乗らざるを得ないとか、当局にとってつけ込まれる心情の中国人が多いことに事故発生の遠因があるような気もした。結局は国民の安全につ いて深く考えない性格が、政府の政策や行動に反映されるのではないかとも思った。ただ、誰かが、今回の事故は安全と言っていた高速鉄道が安全ではなかった という点について、福島原発も散々安全と言っておきながら実際には安全ではなかったという点で、日本の危機意識も似たようなもので当てにはならないと皮肉 を言っていた。
鉄道関係者が事故は落雷によるものと決め付けていたが、落雷の後に安全な停止装置を起動させられなかったオペレーションの不備が指摘されている。当局は責任者3人を追放したと強弁しているが、問題の本質を取り違えているのではないか。
現在判明している限りでは、死者が39人、負傷者は200人を超えているので、死者はもっと増えるのではないだろうか。中国当局が何と言おうと、結局これも原発と並んでおぞましい人災ではないか。