1545.2011年8月8日(月) 大学4年時のショッキングな思い出

  朝日夕刊にあれっ!と思う記事と写真が載っていた。「留学生の命 日米結び半世紀」と見出しのある記事である。大学4年時の夏休みにアメリカのウェスタン・ミシガン大学(WMU) へ短期留学中に運悪く交通事故に巻き込まれて亡くなった村上由希子さんを顕彰する話題である。夏休み中の事故だったが、2学期になって大学では大きな話題 となった。何よりもあまりにも凄惨で気の毒な不慮の死だったからである。乗車していたバスがトラックに追突してトラックの荷材の鉄パイプが座席前部に座っ ていた彼女の胸部を貫通したという悲惨なものだった。
 彼女が亡くなったミシガン州のカラマズーには今彼女の慰霊碑が建てられているということと、彼女の死をきっかけに彼女を記念した奨学生制度が生まれ、現在慶応大とWMUとの間で交換留学生制度も行われているそうである。在学中彼女と話をしたことはなかったが、同じ経済学部の同学年生だったので、三田の授業で見かけることがよくあった。経済学部には女子学生は数少なかったので、その上品な存在は目についた。
 このWMUへの短期留学は、当時珍しい3ヶ月程度の短期私費留学だったが、実は私も何とか留学したいと面接試験をうけてみた。ところが、亡父からそんな大金(当時で約40万 円)はとても出せないとあっさり断られ、試験はまだ続いていたが、途中で受験を取り止めた。残念だったが、わがスポンサーから公費留学ならともかく私費留 学にそんな大金は出せないと言われたので、諦めざるを得なかった。結果的にアメリカへ行きたい気持ちを無理やり封印したことが、その後海外へ、海外へとい う気持ちを一層焚きつけたような気がする。そういう気持ちが長く続いたことが、結果的にそのまま旅行業の道へ踏み出すことになり、それが生きがいのように もなった。そういう意味ではこじつければ、今も好きな旅行に関わっていられるその遠因は、WMCへの留学を諦めたことにあるのではないかとも思っている。
 亡くなった村上さんの話題とは直接関係ないが、留学というと学生時代のこのWMUへの憧憬が思い浮かんでくる。村上さんの関連記事を機に、改めて卒業アルバムを捲ってみたら、友人が抱える村上さんの黒枠の卒業写真も載っていた。60年安保闘争、山岳部のヒマルチュリ初登頂、ライシャワー駐日米大使の講演、早慶6連戦、最後の早慶戦に勝ち12シーズンぶりに六大学野球リーグ戦で優勝した写真もあった。いずれも懐かしい想い出として甦ってくる。
 学生時代は遥か遠くなりにけり、か。

2011年8月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com