年2回恒例の「ヨタロウ会」が品川プリンスホテルの「ハプナ」(レストラン名の意味不明)で、会長?小中陽太郎ご夫妻を交え16名 の小中ファンが集まった。いつもながら和気藹々の楽しい雰囲気である。夏休みのせいだろう、小さな子ども連れの家族が大勢いて、広いブッフェ会場は熱気む んむんである。一人当たりの食事代からすればそれほど高くはないが、子ども連れの両親にとっては大変な家計の負担ではないかと余計な心配をしてしまう。
6日の日経朝刊の文化欄に珍しく野坂昭如氏の「戦後66年は砂上の楼閣」と題するエスプリの効いたエッセイが掲載されていた。なぜか文頭にあまり例のないことわり書きがついていた。異例である。「野坂昭如氏(80) は、敗戦の現実を忘れずに、執筆活動を続けてきた。『焼跡闇市派』の作家が受け止めた震災と敗戦をつづってもらった」とある。さらに自分が寄稿したエッセ イに野坂昭如氏と敬称付きである点も些か気にかかった。内容的には、野坂氏らしい鋭い観察眼で、東北大震災と戦後の焼け野原を比較している。震災と空襲の 風景は異なる。空襲の後は一面の焼け野原だったが、震災ではいまだ被災地を瓦礫の海が覆っているという。そういう現象面ばかりでなく、人々の気持ちにも大 きな差が見られるという。実際そうなのかも知れない。私などにはすぐには思いつかない視点であり捉え方である。
ヨタロウ会で小中さんと野坂氏の文章についてしばし話をした。小中さんが一時期「週刊文春」に連載物執筆をしていたのは野坂氏の口利きだったと以前に聞い たことがある。小中さんは今でも野坂氏を兄貴分と立ててお付き合いしておられる。野坂氏は最近年齢と健康面の影響もあり、第一線から退いてしまった感があ るが、お二人は今でも心からのお付き合いをしておられる。小中さんはこのエッセイを読んでおられなかったようだが、野坂氏の文章の特徴を話してくれ、これ は口述筆記で書かれたものだと言っておられた。それ故通常のエッセイ扱いをせず、他人行儀らしい特別な採り上げ方をしたのだと何となく納得した。
小中さんからは9月にベオグラードで開催される国際ペン・セルビア大会について、出来たら通訳団の中心になるであろう山崎洋さんに日本ペンの様子を連絡し ておいた方が良いのではないかとアドバイスいただいた。タイミングよく山崎さんからは今日絵葉書を受け取った。浅田次郎会長が大会に出席されるとの連絡は すでに届いているようだ。今回は山崎さんからも参加を誘われたが、予定が立たず国際ペンには出席する予定はない。
帰りは小中さんの奥様が運転するベンツで自宅まで送ってもらい、すっかりお世話になってしまった。