今朝赤坂の駐日ミクロネシア大使館へ出かけた。ジョン・フリッツ大使に会い、今取り掛かっているドキュメントの内容について、相澤トラック島大酋長の身内 である大使から一層プライベートな情報を話してもらおうと思ったからである。3日前森喜朗元総理にわざわざ取り計らってもらった有り難い面会である。
お会いしてみると現在51歳 のフリッツ大使は大変気さくな方だ。伯父である相澤さんを心から慕っておられる。アメリカのハイスクールを卒業された後来日され、東海大学で学ばれた。日 本の生活では、トラック島と日本を往来された相澤さんに随分お世話になったと話しておられた。道理で日本語が達者なわけである。拙著を2冊贈呈したところ 大変喜んでいただき、南方に詳しい小林泉さんと云われる方が書かれた「南の島の日本人」という書に署名していただいた。この小林氏については、森元総理も ミクロネシアについて造詣が深いので一度訪ねてみると良いとアドバイスをいただいた。早速本書を読み出したが、道半ばで私が知らなかった情報が大分盛られ ている。ただ、少々不正確な表記もあったのが気になった。
大使には1時間半近くに亘って話を伺った。1977年 相澤さんが大酋長に就任直後当時の福田赳夫首相を表敬訪問した際の新聞記事を見せてもらい、そのコピーをいただいた。相澤大酋長や初代大統領トシオ中山の 話を熱っぽく話してもらったり、二人の親しい関係についてエピソードも伺った。中山大統領と相澤大酋長が日系二世として親しい間柄の中で手を携えてミクロ ネシアの独立のため、憲法素案作成のために歩んで来たことに感銘を受けた。いままで考えていた以上に相澤大酋長が仕事面で成功され、トラックのために貢献 され、多くの人から信頼されていることが分った。
今日伺った情報を加えるなら、少し全体構成と文章を一部変更する必要があると感じている。もう少し時間をかけてじっくり全文を練り直してみたい。大使は終始笑顔を絶やさず、いい感じで受け応えていただいた。写真も撮ったので、ドキュメントに挿入したい。
夜はゼミの暑気払いとの名の下にいつも通り「銀座ライオン」へ出かけたが、に顔馴染みのレギュラーメンバー8人が集まった。話題はこれまで毎年秋に行って きたゼミ例会を飯田先生が亡くなられたことに鑑み、「飯田先生を偲ぶ会」という名目で、出来るだけ多くのゼミナリストに出席してもらい、改めてその場で今 後の方向性について意見を聞こうということになった。明日飯田先生の奥様のご都合を伺い、ハイアット・リージェンシー東京に予約することを委ねられた。ど うも幹事役を任されることが多い。
今夜の会場はいつになく1階、2階とも混み合い、むんむんしていた。暑いせいだろうか。