近畿地方を襲った台風12号の猛威には圧倒される。最初はゆっくりしたペースで日本本土に上陸したが、このゆっくりしたペースが曲者だったようだ。降雨量が普通の台風とは違って多く、地盤の弱い地区や、堤防が脆い地区では土砂崩壊や洪水が押し寄せ多数の犠牲者を出している。今日現在で31名の死者が判明した。これらの地区が復旧するのは、まだ遠い先になるのだろう。今年は自然災害に襲われる地域が多く、地震・津波災害にやられた東北地方、台風・洪水にやられた近畿地方、等々に起きた被害に鑑みて新たな防災対策を含め災害対策も待ったなしである。
こんな時に船出した野田政権は目の前に溜った多くの課題を可及的速やかに対処しなければならない。事態の深刻さを承知した野田総理は、臨時閣議で大雨被害 の情報収集を強化する一方で、人名救助と行方不明者の救出に全力を尽くすことを強調した。野田政権にとって救いとなるのは、政権発足時の支持率が60%を超えていることである。20%を切るような政権末期の鳩山内閣や菅内閣のような不人気でないことにほっとする。実行力は未知数ではあるが、前向きな姿勢だけは伝わったようだ。野田総理にとって内外に難題を抱えて大変な時ではあるが、指導力を発揮して難問に果敢に挑戦してもらいたい。
さて、相澤酋長に関するドキュメントの内容で、佐々木信也さんに確認したい点があったので、電話で尋ねてみた。昭和24年 夏の甲子園で母校湘南高校が初出場、初優勝の快挙を成し遂げたが、佐々木さんはその時1年生だった。その後高校卒業までの戦績を聞いてみたかった。2度目 の甲子園は3年生になった、翌々年の選抜大会で主将だった。「トップバッターでセカンドでしたか?」と大学、プロを通じて定番のポジションに関する質問 に、「いや、三番でショートでした」との回答だった。佐々木さんには悪いが、三番とは意外だった。チャンスメーカーではなく、一発勝負を決める役割を期待 されていたのだ。守りもセカンドでなく、ショートだったとは更に意外だった。それにしても常識とはかけ離れた球歴があったわけで、面白いと思った。
佐々木さんからは相澤さんが湘南OBである確認がとれたかどうかと尋ねられたが、確証がなく確認できないので、こればかりははっきり応えられない。小林泉著「南の島の日本人」では、相澤さんを湘南OBと結論づけていたが、本ドキュメントでは私は詮索しないということにしている。拙文を読んだ方がどう受け取られるか。