1578.2011年9月6日(火) 原子力について考えを変えた人たち

  今朝の朝日に菅直人・前首相への福島原発事故に関する単独インタビューの内容が掲載されている。まもなく事故発生以来半年になるのに一向に明るい見通しが 立たない。菅さんも追及ばかりされていた首相職を下りてほっとしたのだろうか、インタビューの内容はかつて野党時代の弁舌鋭かったように中身が分り易く説 明されている。しかし、このインタビューの中で放置出来ない大事な点が2つ明らかにされた。
  ひとつは、今年5月フランス北西部のドーヴィユで開催されたサミットで、原発大国フランスのフィヨン首相から菅前首相に使用済み核燃料を引き取ってもよい と日本にとって有難い話があったという。フランスにとっても厄介な核燃料だが、商業ベースに立つという点、そしてフランスの原子力技術をアピールできると いう長期的な視点から、積極的に持ちかけたようだ。前首相はこの話をすぐに経産省に伝えた。ここからが問題だが、日本側は返事を留保している。その理由 は、使用済み核燃料についてわが国は、2012年に完成予定の六ヶ所村の再処理工場でプルトニウム を抜き出す核燃料サイクルを進める予定で、フランスの申し出に応じれば日本の核燃料サイクル政策が根底から崩れかねないと内輪の論理で経産省内では反対論 が強く、まだ協議を続けている段階だという。核や原発等、いわゆる原子力に別れを告げられないのだ。5月の話がいまだに宙ぶらりんの状態でフランス政府に 諾否の回答もしていない有様である。
 もうひとつは、事故直後の3月15日 に東電から「福島第一原発から撤退したい」という話があったということである。冗談じゃない。撤退しそのまま放置したら全部がメルトダウンし、チェルノブ イリどころではないと前首相が撤退は許さず、命がけで抑え込むとの決意だったという。どこまで信用して良いのか分らないが、国民の安全を放っておいて責任 を取るべき立場の人間が自分たちだけ逃げてしまおうとのふざけた話である。
 2つの話はわれわれ国民が知らないところで、安全を司るべき政府の責任者と事故責任者が揃いも揃って、国民不在で自分たちの思い通りにやることだけにうつつを抜かし、また自分たちが失火した火事場が燃え盛っているのに自分たちだけ逃げようと考えている不届き千万な話だ。
 どうして日本の中枢がこうも無責任な連中ばかりになってしまったのか。また、なぜこんな動きをこそこそ「原子力村」の人間だけに任せるようになってしまったのか。良識、誠意、思いやり、そして倫理観が無くなり、人間力が機能しなくなってしまったのだ。
 ところが、今日の朝日夕刊の「ニッポン人脈記」で「核に別れを」と題して、かつてのアメリカ政府の重鎮が世界に訴えている寄稿論文が取り上げられている。この論文は寡聞にして知らなかったが、2007年 1月にジョージ・シュルツ、ヘンリー・キッシンジャー、ウイリアム・ペリーら3人の元国務長官らが、サム・ナン元上院軍事委員長とともに訴えた主旨が今核 問題がとやかく言われているこの時代に心ある人々の胸に訴えている。その主旨とは「これからの最大の脅威は核を使ったテロ。失うものがないテロ集団には、 核で脅しをかけても抑えがきかない。だから核を持ち続けるより、核をなくしてテロを防ぐ方がいい」である。この4人はかつて核兵器が世界の安全に欠かせな いと主張していた人たちである。シュルツ元長官のようなガチガチの保守派が、謙虚に核兵器に詳しい物理学者から原子力について学んだ末に辿り着いた結論で ある。
 いつまでも核に固執している時代ではないし、こんな危険なものを捨てられないことが、何も知らない人々を不幸に追いやるのだ。核を含めて原発に賛成する人たちは、自分の問題としてよくよく考えるべきだ。

2011年9月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com