このブログの回数をふっと見たら、何と語呂合わせのような数字になっている。書き始めてから10年目に入ったが、数えて実に連続3333回目である。そう簡単には到達できない数字だと思えば、嬉しくもあり誇らしい実績回数でもある。この先あと何回続けて書くことができるだろうか。キーポイントは一にかかって健康問題だと思っている。
さて、先般の熊本地震でかなり被災した国の特別史跡の名城・熊本城についてその再建に補正予算を組むことになったようだが、どれほどの費用がかかるか現時点でははっきりしない。もう一撃食らったら崩壊してしまうのではないかと気になっているところだ。まずは、応急手当でも良いから崩壊の危険から食い止めてもらいたいものだ。
今朝の新聞に依れば、熊本城と同様、国の特別史跡である名城・名古屋城天守閣が木造で復元されることに決まったという。現在の天守閣は戦時中米空軍機の空襲により焼失した後に、コンクリート製で再建されたものであるが、これをオリジナルの木造の城に建て替えるという。姫路城の約2倍の規模だそうだ。あれほど大きな城を敢えてオリジナルに則り木造に建て替えるというのは、名古屋人の心意気と言うか、昔のお城へのノスタルジアもあるだろう。
思えば中学3年生の夏休みに父が岡崎市近郊の父の姉家族の元へ連れて行ってくれた。その時京都・桂の自宅から阪急で大阪へ出て天王寺動物園を見学した後、近鉄ビスタ・カーに乗り名古屋へ出た。そして名古屋から国鉄で岡崎へ向かう車窓から今の名古屋城を見ていたら、隣席のおじさんが、名古屋城についていろいろ説明してくれた。その人は焼失前のお城がいかに威厳があって天守の鯱が素晴らしかったかを滔々と感動を込めて話してくれたことが懐かしく思い出されて来る。お城はその土地のランドマークであり、住民の誇りであり、心の故郷なのだ。その意味でも近く再建へ踏み出す名古屋城は、三河地方の人々にとっては誇らしいものとなるに違いない。
その一方で、江戸城の再建計画は中々一筋縄ではいかない。私的には父方曾祖父が御家人だったことと、また幕臣だった父の大伯父が箱館戦争で生涯を終えた経緯もあり、お誘いもあり私自身現在認定NPO法人「江戸城天守を再建する会」に所属している。当然ながら皇居敷地内の元の天守台に天守閣を再建しようというプロジェクトだけに、国と宮内庁の許可なくして事業が進む筈のものではない。中々厄介ではある。大田道灌17代目の子孫が会に積極的に貢献してくれるが、世論を味方に付けてゴールへ向け一斉にゴーというには、まだまだ前途は多難である。計画では、オリジナルの図面が再生されたので、名古屋城より一足早く木造建築を志向していた。名古屋城再建計画が軌道に乗り、世論の支持が高まるようになれば、江戸城再建計画も具体的に動きだすのではないかと密かに期待している。