今日は東北大震災から丁度半年を迎えた。と同時に、あの忌まわしい9.11同時多発テロから奇しくも10年目に当たる。新聞紙上は勿論、テレビでも大震災とテロに関する番組が目白押しである。
大震災では地震と津波のほかに、原発事故関連の情報が多い。地震と津波は目に見える瑕であるが、原発は人の目に映らないだけに面倒である。家屋、土地が傷ついていなくてもそこに流れる空気の中に目に見えない放射性物質が含まれているから厄介だし、その空気を避けて自分で避難するより手段がない。
先日茨城県の知人から秋の味覚「梨」を送っていただいた。その梱包の中に収穫した農園から1枚の用紙が封入されていた。「当園の梨の放射線試験結果は別紙の通りです。放射線ヨウ素、セシウム134、セシウム137、放射線セシウム(Cs-134、137合算値)のいずれも検出せずとの報告でした」と書かれていた。農家の方もこんな専門用語や数値はあまりぴんと来ないのではないか。このように書きなさいと言われたので、自分たちの商品が安全だと知らせるために書いたわけで、気の毒になった。勿論私にはその梨が衛生上安全だと分っているので美味しくいただいているが、その専門的な表示はやはりよく分らない。
同時多発テロにしても、発生から丁度10年目の節目と考えると感慨深いものがある。その2日前に妻の母が亡くなり、お寺で通夜の合間にテレビで知った。あの衝撃的なシーンはあまりにもショックだった。現実に起こったとはとても信じられない光景だった。こんな大騒ぎでは亡くなった義母もすんなりと冥界へ行けなかったのではないだろうか。一瞬これはえらいことになったと思った。同時に、やや不謹慎と受け取られかねないが、やはりこれがそうなのかなと何となく感じていた「予感」が現実に起こったと思ったのも本当のところである。
実はその1年半前にアフガニスタンとパキスタンの国境、カイバル峠を訪れた。その峠の手前にパキスタン領内最西部の集落ランディ・コタールがあり、そのほとんどが商店だったが、寂れた商店群の中に際立って流行っている商店が何軒か建ち並んでいた。その商売繁盛の商店を見ているとすべて銃砲店だったことに気付き、アレッと思うと同時に、何やら納得がいったような、変な予感めいたものを感じたのである。詳細は拙著「停年オヤジの海外武者修行」に書いてあるが、その当時頻発していた反米テロを時系列で追っているとそろそろ新たな反米テロが起きる頃ではないかと思っていた。その最中にタリバンが支配するカイバル峠近くで武器商売が繁盛している現実を見て、取引された武器がタリバンに流れてテロに使用されるかも知れないと思った。もしやと感じたことが同時多発テロと結びついたのである。そんな恐ろしい類稀な経験を思い出した。
自然災害は避けようがないかも知れないが、それでも万全を期した備えが惨事を軽減し防ぐことにつながる。一方テロは、理屈はともかく人間が意図的、無差別に無謀な大量殺人を犯す許すべからざる犯罪である。国際的な連携と警戒を強めて、絶滅を期さなければならない。
夜遅くなって現地、ニューヨークのグラウンド・ゼロの追悼式典の実況中継を観ていると止め処もなく嫌な妄想が浮かんでくる。この世から果たしてテロを絶滅させることは本当に可能なのだろうか。