一昨日沖縄密約裁判で東京高裁が原告に逆転敗訴を言い渡したが、どうして1審判決を取り消して逆転敗訴となったのか。どうもその理由と経緯がよく分らない。1審ではほぼ原告の全面勝訴と言われた判決文に、それを否認するような新たな証拠が顕われたわけでもなく、1審で認めた原告の言い分を追認しているような経過を辿った末に、最後になってまさかの逆転判決である。
東京高裁は密約文書があったことははっきり認めている。外務省が肝心のその文章を紛失(廃棄処分)したことも承知している。それに対して原告が情報公開法に基づく開示や損害賠償を求めたことに対して‘NO’と言っている。それがよく分らない。つまり「ないものは開示できない」と子どものように駄々をこねているだけだ。これを原告の西山太吉氏は司法の独善と手厳しく反論している。作家の澤地久枝さんも怒っている。一方で、藤村修・官房長官は請求対象文書を保有していないということが認められたとコメントした。官房長官になったばかりであまり本件に詳しいとも思えない理系の人間が、本当に外務省が重要文書を紛失したことに責任がないとでも思っているのだろうか。山口壮・外務副大臣にしても「ないものはないからすみませんという話だ」とまるで人を馬鹿にしたようなコメントをしている。そんな無責任が通ると思っているのだろうか。ご両人ともちょっと軽薄過ぎる。
密約文書の存在を認めながら、廃棄処分?したから資料として提出できないのは仕方がないという裁判所の論理に対して、原告はアメリカが保有している文書を取り寄せて開示することを求めたが、裁判所は認めなかった。この点が私にもよく理解できない。他に方法があるなら頭を下げてもそうすべきが、社会通念ではないか。ましてや国がウソをついているかどうかを追求している問題だ。
大体の様子は分る。密約文書は実際に存在した。外務省がそれを廃棄した。原告は探して開示しろと言った。外務省と裁判所はないものはないと突っぱねた。重要資料は紛失しても許される。まあこういうことだ。結局行政が司法と一体となって糺すべきことを回避したということになるのではないか。何となく司法に騙されたような気がしてならない。
原告団のおひとり、小中陽太郎氏から昨日メールをいただいた。判決は逆転敗訴となったが、言い分はほぼ認められたと書いてこられた。いろいろな考え方があると思うが、真意を汲み取り、それをどう解釈するかが大事だと思う。都合が悪くなったら重要書類でも黙って処分して構わないと天下に公言したお上の言い分には私は強く抗議したい。
一昨日購入した「『冒険ダン吉』になった男・森小弁」を読み終えた。一応書き終えた拙稿に、小弁の活動とトラック島における日本人の活動について若干加筆すべき必要を感じたので、付け加えたいと思っている。