小田急山岳部OB会が相模大野駅前の「ホテルセンチュリー相模大野」で開かれた。80歳を過ぎてなおスキーや山に出かけている元気者の高齢者もいる。その反面聞くのはやはり手術、入院、病気、健康の話が多い。30名近い山仲間が集まった。若い時に一緒に山へ行った仲間も来て、ひとしきり昔話に花が咲いた。感心したのは、何度も一緒に登った小俣龍平さんが、「日本百名山」全山登山に挑戦中で、征服した山々のリストを持ってきてくれたことである。
日本アルプスはもちろん、北は利尻岳から南は開聞岳まで百名山の内96もの頂上を極めている。まだ4つ残っているようだが、意外にもその4つの内南アの光岳、北アの鷲羽岳を私は登っている。しかし、百名山の内私が登ったのは半分程度だろうか。小俣さんのチャレンジ精神と愛山心にはつくづく敬服する。小俣さんは今あまり健康が優れないようなので、残り4峰を征服するのは中々厳しいと思うが、焦ることなく何とかあと4つをやり遂げてほしいものだ。
帰宅してびっくりである。拙稿「トラック島日系大酋長が見せた大和魂と謎」を掲載した「知研フォーラム」が段ボール2箱に詰められて送られてきた。早速箱を開けてみて、思わずアッと声が出た。拙稿の中に載せられる筈の写真と図14枚の内、実に10枚もが掲載されずに抜け落ちているのだ。どうしてこんな無様なことになってしまったのだろうか。完全に落丁本である。急いで八木会長に連絡して調べてもらったら、拙稿をPDF化した時にどういう不都合があったのか写真の一部が落ちてしまったらしい。会長に尋ねると、すでに小松市内の森喜朗事務所へは300部送付済みだという。慌てて森喜朗事務所の長谷川秘書に連絡を取り、すでに送った分は処分してもらい、改めて300部を送ると事情を話して何とか了解してもらった。
トラブルの原因は印刷会社の失態ではなく、会長がPDF化した際誤って発生したミステークだと説明を受けたが、ちょっと残念である。
私にとっても折角力を入れて書いたエッセイだっただけに、願い通りスッキリと仕上がらなかったことには忸怩たる思いである。もう1度印刷し直してもらうことになったが、私自身も150部ばかり注文したので、改めて期待通りにでき上がることをひたすら願うばかりである。それにしても奇妙なことが起こるものである。