大学時代のゼミの恩師・飯田鼎先生が今年5月にお亡くなりになって半年が過ぎた。例年なら先生ご夫妻をお招きして飯田会を開催するのが恒例だが、今日「飯田鼎先生を偲ぶ会」として今春閉館した「九段会館」から、「ハイアット・リージェンシー東京」に会場を変更して先生ご夫妻がおられない、少々寂しい飯田会を開いた。参加者は40数名で、冒頭に先生のご冥福を祈って全員で黙祷し、先生を偲びつつ先生の思い出を参会者がそれぞれ話した。
誰からも話される思い出話は、素晴らしい先生だった、先生に教えを請うことができて幸せだった、先生の生き方が自分の指針となった、大学生活が意義深いものになったのは飯田先生のお陰である等々、先生を慕う気持ちは誰もひけをとらない。突然お亡くなりになったので、もっと謦咳に触れたかったなど先生を想う気持ちは他のゼミ生には誰にも負けないという人もいた。
翻って自分自身ゼミに入る前に先生に河上肇の著書を読んでいると申し上げたら、「ゼミに入って河上肇を研究してみたらどうか」と学ぶ方向性を示していただき、先生のご指導をいただきながら結局河上肇が卒業論文のテーマとなった。夏休みに桧原湖のゼミ合宿で勉強したり、遊んだことが懐かしい。卒業後も悩んだ時には先生のお宅を訪ねてサジェスチョンをいただいた。私が処女作「現代・海外武者修行のすすめ」を上梓した折には、事前に先生に拙稿をお送りし添削、推敲のご指導をお願いしたところ、1週間ほどして丁重にコメントを書いて総評を文書にして送っていただいた。それは、拙文には句読点が少なく、ひとつの文章が長すぎるので、もう少し文章をカットするなり、読みやすくするために句点を付け加えたらどうかと分り易いアドバイスをいただいた。その時先生の真摯なお心遣いを感じた。あの時以来何とか文章を書いて来られたのは、まったく飯田先生のお陰である。
来年には飯田会文集を出すことが報告された。私もその編集委員のひとりを務めることになった。
今後の飯田会を進め方については、結論は持ち越されたが、先生はお亡くなりになったが、先生の精神はゼミナリストの心の中に生き続けているので、形として何とか残していこうとの声が強い。来年のご命日に先生のお墓参りをして、肩肘張らずにサロン的ムードの中で先生を懐かしく想い出すことができるような集まりになれば良いのではないかと思っている。