2020年東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場に、当然設置されるべき聖火台が設計上考えられていなかったことが明らかになった。何とまぁお粗末なことだろうか。昨年来2020年オリンピックに関しては、この新国立競技場建設計画が一旦白紙に戻され、改めてデザイン採用をやり直した末に昨年12月漸く新デザイン案が決まったばかりだった。更にその後オリンピックのエンブレム・デザインは盗用ではないかとの疑念が持ち上がり、これを取り下げ、新たにデザインを募集して5月に新しいエンブレムを決定するところである。これほどの大プロジェクトが2度までも重大な過ちを引き起こすなんて前代未聞で、国際的にも大きく信用を失墜する。それが、今度の聖火台設置漏れは3度目の失態である。
今回明らかになった聖火台の設置について言えば、誰が考えてもそれ自体当然頭の中に入っていなければならない筈であり、オリンピック組織委員会から聞き取った要望の中にはなかったという建築家の言い訳は許されるものではない。過去においてもオリンピックは聖火台とは切り離せない必須なものであり、仮に要望書の中に記載されなくても、組織委員会に聖火台はどうしますかと問い合わせるのが普通であり、責務ではないだろうか。
外から見ていると、どうも組織委員会の委員たちはオリンピックというものを自分たちの問題として考えておらず真剣味が足りないように見て取れる。
とかく日本の技術とか、運営は他の追随を許さないほど優れていて任せておけば安心であるというような過度な自信に捉われがちであるが、反面結構他人任せのところがあり、それが案外墓穴を掘らせることになるものだ。
隈研吾氏のデザインによる新設計図は、基本的に木造建築であり、場所に拠っては消防法に触れる点が懸念される。また、スタンドは屋根付きであり、その上に聖火台を設置すれば重量負荷に耐えられないとの懸念もあり、そう簡単に計画変更が出来るものではない。IOCの規定を当初から配慮していなかった節もあり、これからどうやって期待されるメイン・スタジアムを建設していくのか。
まだ、時間はあるので、慎重に、しっかり精査してこれ以上同じようなチョンボを犯さないよう作業を進めてオリンピックが盛大に開催されるよう願うばかりである。
それにしても杜撰だったというしか言葉もない。