今や年2回が恒例となった上野浅草オーケストラの定期公演会のうち、秋の部第51回定期演奏会がいつも通り浅草公会堂で開催され、ゼミの仲間が夫人を含め21人集まった。私も妻を伴って出かけた。
オーケストラでチェロを演奏している赤松晋さんは、この公演のために日頃から厳しいトレーニングを積んでいる。普段から努力家でひたむきな精進ぶりには頭が下がるし、彼を支える奥様の内助の功にも拍手である。
これまでは公演であまり有名な曲は演奏されなかったが、今日は知る人ぞ知るシューベルトの「未完成交響曲」と、プッチーニのオペラ曲「蝶々夫人」の2つの名曲を聴くことができて、じっくり楽しむことができた。「蝶々夫人」は、いくつかの名場面を抜粋して、ピンカートン、蝶々夫人、シャープレス、スズキらのソロでつなぎながら、女性講談師・玉川奈々福さんがメリハリの利いた語り口でムードを盛り上げるという趣向で中々楽しいものだった。
個人的には、4日前NHK・BSのドキュメンタリー番組「‘蝶々夫人’は悲劇ではない―オペラ歌手岡村喬生80歳イタリアへの挑戦」を観ていたので、特に日本人と外国人の‘蝶々夫人’観の差について考えながら聴いていた。テレビでは岡村氏が、自分自身‘蝶々夫人’を歌いながら、いつも100年前の外国人が見る日本人観に違和感を抱き、岡村流のオペラ‘蝶々夫人’を、プッチーニ地元の屋外劇場で公演しようとするもので、岡村氏がイタリア人のオペラ観とぶつかり様々な場面で、イタリア人関係者と衝突するシーンを見せていた。
イタリア人は日本人がどう思おうと、オペラ自体を変えることを受け入れず、また日本人的所作も取り入れようとしない頑固さに、岡村氏もほとほと弱りきっているのが感じられた。
今日の部分的な抜粋オペラでイタリア人の考えが分かったわけではない。しかし、作曲者のプッチーニ自身が日本を訪れていない、況や舞台である長崎という土地や風習を知らない以上、こういう日本の文化・伝統を知らない外国人に誤解が生まれるのはある面で仕方のないことだろう。
このままで良いとは思わないが、オペラができ上がって一定の評価が下された以上、これをいくら日本人が見て違和感を覚えると言っても変更するのは難しいだろう。しかし、これで決着がついたわけではない。これからはこの辺に興味を持ちながら、この名曲を聴こうと思う。
コンサートが終ってから、揃って浅草の「アリゾナ」レストランで会食をしたが、いつもながら気の置けない仲間との食事は楽しい。この「アリゾナ」は文豪・永井荷風が愛した場所であり、店内には写真家・木村伊兵衛が荷風の亡くなる半年前に撮った写真も飾ってある。ゼミの恩師・飯田鼎先生は亡くなられたが、今日は飯田先生を偲び、仲間との旧交を温めながら青春時代を懐かしんだ、心が和む楽しいひとときだった。